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() 西町観音(にしまちかんのん) [感應院跡] 不詳

歴史

観音堂境内に「略縁起」の額が掲げられている。要約すると以下の通り。 観音堂の阿弥陀如来は享保5年1720黒田家家臣庄野彦左衛門が豊前宇佐にあったものを鳥飼宮の本地仏として神殿に安置したもの。聖徳太子の御作。鳥飼宮の別当鳥飼山鎮護寺感應院[1]の住職が奉祭していた。 明治2年1869廃仏毀釈の時、地元住民が仏像が他の場所に移される事を恐れ、その筋にお伺いをたて一宇を建立。 地行の真福寺を受持として町内の守護仏として祭ることとなった。その後、お堂が大破したため昭和2年1927に大修理を行った。

「略縁起」の額の文書末尾に「門前碑文写」とある。この文章は境内の手水の隣の石塔に刻まれているものと思われる。 右の『筑前國続風土記附録』の挿絵に感應院が描かれている。

観音堂脇の額に書かれた文書によれば、御堂内には阿弥陀如来・十一面観世音菩薩・文殊菩薩が安置されている。 祭礼は、初観音(1月7日)・花まつり(4月8日)・夏祭り(7月17日)・秋祭り(10月17日)。 観音堂の前の道は唐津街道である。

ひとくちメモ

間口半間ほどのお堂である。格子戸は施錠されており、さらに格子戸に貼り付けられた樹脂と思われるものが曇っており内部はほとんど見えない。賽銭を入るれ所のみ内部を直接覗けるが、内部が暗くよく見えない。残念。 これも近年の賽銭泥棒・仏像泥棒の横行による弊害である。

門前の唐津街道は朝夕は通勤・通学の人々が多い。

脚注

関連寺院

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