『筑前国続風土記』巻之五 那珂郡 上の内容をそのまま記す。
○妙徳寺曹洞宗
今山と号す。 禅寺なり。馬出村にあり。栄西宋より帰り、始めて住せしところと言い伝えたり。聖福寺営作の間爰に住せしにや。 馬出村の南に寺中町といひ伝へたる横道あり。是栄西妙徳寺にありし時、 宋より来りし従者の居たりし所といふ。其後栄西聖福寺に移り、従者も今の聖福寺々中に移りしなるべし。 栄西帰朝の後、箱崎に良辨といふ者あり。栄西の禅行をそねみて、 叡山の講徒を誘ひ、朝廷に訴て竄逐せんとし、後に改悔し、稱揚帰降せし事、 元亭釈書[1]にしるせり。此時の事なるべし。 此寺の庭に糸櫻の大木あり。 寶永3年1706の春、 光長君[2] 郊遊の次に駕を枉て、花を賞し玉ふ、寺門の榮幸とす。
『筑前國続風土記拾遺』には栄西が勧請した稲荷社があったと記載されているが、作者は確認できていない。
伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』よれば、『筑前國続風土記』に記されている福岡藩3代藩主黒田光之の賞した糸桜の大木(本ページ歴史欄参照)は、今はないという。()
慈悲観音菩薩様のお姿の美しさにうっとりして見とれていました。 また、日切地蔵堂は線香の香りが絶えずご利益がありそうな感じである。 是非一度お参りしてください。
伊藤氏メモ「空と風と光のお地蔵様」がありました。平成18年の海の中道大橋での市職員の飲酒運転事故で亡くなった3人の子供たちを祀っているとのことです。(3人の子供たちの戒名に空・風・光の文字が入っているとのこと)()