寺伝によれば康暦3年(1381)筑後柳川に創建された。開山の僧は日円。はじめは円理院と号した。 慶長8年(1603)戸次道雪の家臣で後に福岡藩に仕えた薦野増時がこの地に移した。当地での開山は日秀。同年に下記のキリスト教徒との問答があった。
元本堂は天明5年(1785)(32世日定代)に再建されたもの。福岡大空襲でも焼失を逃れた。 (以上 『福岡市史』民族編1より)
境内の案内板の内容を下記に示す。
博多の日蓮宗寺院では最も古く、慶長8年(1603)京都妙覚寺の僧であった、 唯心院日忠人とキリスト教神父イルマン(宣教師)の 旧沢らとの宗教問答が行われた寺である。日忠上人はこの問答に勝って、初代藩主 黒田長政からキリスト教の土地を与えられ、 勝立寺を建てた。
別院として、御笠川の対岸に西門鬼子母神がある。
参考:『筑前國続風土記拾遺』
妙奠寺
松林山と号す。(院号なし) 日蓮宗京都本法寺の末也。 此寺初は筑後國柳川に在しを慶長8年(1603)立花三河守増時此地に移せり。 此時の僧を日秀といふ。 以て開山とす。(今年4月京都妙覺寺の僧日忠當寺にて邪蘇の僧と法論せし事あり。福岡勝立寺の条下に記す。)
安永7年(1778)潤7月那珂郡堅粕村の内東松原にて山林900坪を立花家より拜領し、此寺に寄納せり。 寺内に得舩庵及鐘楼あり。
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