境内の掲示板の内容をそのまま記載する。
正和5年(1316)に創建され、博多の北浜[1]にあった。 大陸との貿易交流でにぎわったが、天正14年(1586)兵火にかかり焼失したのを、 慶長5年(1600)この地に移された。墓所には博多商人の 三傑神屋宗湛、博多の豪商で鎖国の禁を破り、処刑された伊藤小左衛門一家の墓がある。
『筑前國続風土記』によると、正和5年(1316)に月堂宗規和尚により開山された。 月堂は筑前宗像郡大保[2]の人で、大應國師[3]の弟子にあたる。
火災で焼失したのは天文7年(1538)とある。 上の内容と矛盾する。詳細不明。
また、同書によると焼失する前の妙楽寺があった所には「異賊来襲の防ぎの為石垣を築かれていた」とある。 その為に「石城山」という山号になったのではなかろうか。
尚、この石垣は元寇[4]防塁 と考えられる。博多湾沿岸には、いたる所に現在でも元寇防塁跡が残っている。
境内には「ういろう伝来の碑」がある。詳しくはLinksを参照のこと。
右の『筑前名所図会』には、ほぼ現在と同様の伽藍配置で妙楽寺が描かれている。 また、聖福寺・順心寺・円覚寺・ 節信院・永寿院・妙楽寺・ 乳峯寺もほぼ現在と同じ配置で描かれている。
開山堂の記事はこちら。
神屋宗湛・伊藤小左衛門などの博多豪商の墓がある。また、「ういろう」伝来の地とも言われている。
開山堂は山門をくぐり本堂に向う左手にある。 通常はその山門は閉じてあるが、博多情緒めぐりのイベントのおり開けてありその中に入らせていただいた。(2009-11-13) 以下に開山堂前に貼ってあった説明書の内容をそのまま記す。
開山堂の由来
この建物は開山堂といい、妙楽寺開山月堂宗規禅師 (崇福寺8世・ 聖福寺25世)並びに歴代住職をお祀りする御堂であり 『水月庵』と号する。 現在の建物は、元禄11年(1698)に再建され、嘉永6年(1853)大改修され、 大正年間、真向かいにあったものを現地に移築している。 昭和56年さらに大改修し、その後も度々の改修を加え、現在に至っている。 中には、執権北条時頼公・黒田督物一族・伊藤小左衛門一族・藩医鷹取養巴歴代の位牌も お祀りしている。
開山堂の額字は元徳元年(1329)明極楚俊禅師 (京都南禅寺に住す)が元より来日した時、月堂禅師の為に書かれたもの。 堂内の聡と水月庵の額・半鐘は、元禄11年(1698)のもの。
またこの場所には嘉永16年(1639)黒田監物親子の 菩提の為に建てられた即宗庵が江戸後期まで存在した。 開山堂は江戸時代の建物。
![]() | ◎円通寺糸島市志摩馬場733 |
![]() | ◎善応寺糸島市志摩桜井2017 |
![]() | ◎大同庵跡福岡市博多区奈良屋町4-25 |
![]() | ◎天祐寺糟屋郡粕屋町仲原2丁目22−20 |
![]() | ◎安養寺糸島市志摩野北1341 |
![]() | ◎東照寺福岡市東区蒲田1丁目13-61 |
![]() | ◎秀善寺糸島市志摩桜井2358 |
![]() | ○極楽寺跡糟屋郡宇美町障子岳 |
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