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秋月山昌林院() 妙円寺(みょうえんじ) [妙圓寺] 浄土宗

歴史

寺号の元となった「妙円」は福岡藩祖、黒田如水の妹(以降「妙円」と呼ぶ)1556-1618の法名に因むもの。 妙円は夫の戦死後、豊後円応寺にて出家して法名を「昌林院秋月妙園」とする。 妙円は甥の長政が豊前中津より筑前国に転封となったことに伴い、如水と共に福岡博多にやってきた。 現在の妙円寺のあたりに草庵をむすぶ。そこで浄土宗の教えを深く学び実践していた。 慶長17年1612、筑後善導寺を退院した第21世伝誉上人をその草庵へ招聘することを願い出て叶う。草庵のそばに堂宇を建立。伝誉をその寺の院主とした。秋月山昌林院と号した。

元和4年1618、妙円が亡くなる。寛永19年1643伝誉が亡くなり、伝誉の徒弟が跡を継いだが程なくして退院。無住となった。

2代忠之は、名のある寺を無住のまま放置するわけにも行かず、大乗寺の浄土宗を昌林院に移す命を下し、昌林院を妙円寺と改称。 大乗寺本尊、仏具、什物等他皆引き移される。末寺末庵も同様。ここに妙円寺が正式に誕生した事となる。

上の事実関係から、ある意味、妙円寺の前身は大乗寺といっても良い。 大乗寺は元は法相宗の古刹であったが、一時荒廃、天文2年1533行明が浄土宗寺院として再興し、筑前国を中心に多数の浄土宗の寺院の開基にかかわった名僧である。 よって、当寺の開基は行明であるといわれるようになった。(以上、『黒田官兵衛(如水)の妹 妙圓大姉―備前と筑前の浦上氏と小河氏 福岡城・名島城・伊野皇大神宮』より。当ページの末尾に略年表を付した。)

『筑前國続風土記』巻之5 那珂郡上によれば、 妙円の人柄は「此人慈悲深くして人をいつくしみ、かりにも人をくるしめず」(原文のまま)であったと言う。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪 』に次のような記載がある。

寺内墓地に如水の妹(尾上安右衛門室)妙圓の墓あり。 墓石には「昌林院殿法誉秋月妙圓大姉」と刻まれ、「元和4年1618没す」とある。また傍には安右衛門の長女おたね、二女おいちなどの墓あり。 その他、境内には、約1200年前、行基が筑前留錫教化中に建立したという観音堂あり。藩主長政のとき、当寺に移奉合祀されたものである。

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伊藤氏メモ

寺伝によると、妙圓尼は弘治2年1556の生まれ。黒田家の家臣尾上安右衛門に嫁していたが、戦で夫を失い、現代風にいう戦争未亡人となり、住吉の地に小庵を結んで信仰生活に入ったという。甥の初代藩主黒田長政公はこの叔母のために、寺産として50石を寄進して、色々と気を使っている。

妙圓尼は生来、温和で心優しいが、しっかりした女性だったらしい。福岡の城に行くにも「乗り物は僕夫のなやみ、と歩行し給う。信心篤く殊勝なる尼公なりしとかや」、つまり輿や駕籠を使えば担ぐ人が大変だろうからと自分で歩いて行った、というエピソードが『筑前國続風土記』に残されている。

(『筑前の寺めぐり 』より)()

ひとくちメモ

寺の裏手は那珂川が流れている。本堂前の一対の狛犬(大理石製と思われる)は風格を感じさせるものである。 境内には、観音堂・地蔵堂・妙円尼の墓碑・イチョウの巨木(♀)がある。 このイチョウの木は遠くからも良く見える。

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