お寺めぐりの友

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() 水導観音堂(みずひきかんのんどう) 不詳

歴史6 phrases

観音堂前の案内板の内容を下に記す。

当所水導観世音像は慶長17年1612黒田長政舞鶴城築城の(みぎり)濠水浚渫(しゅんせつ)の際出現の霊佛である。 当新大工町住民築城普請方棟梁川端次郎助へお下げ渡しになり当時当所に世々修験者の道場たる処の金壽院と称する梵刹あり之に安置す。

右佛像は日々霊験顕にして礼拝者多きに達せしにより享保3年1718佛堂を建立し水導観世音菩薩と称し祭祀す。 之即ち現在の本堂なり。 後に不動明王 子安観音 愛染明王を安置す。 風雪百数十年舞鶴城と共にあり城下民家の悪火悪疫除の守護佛と敬い町民代々祭祀せしに大火もなく悪病もなき徳に遠く粕屋、筑紫、怡土志摩より信者の列あり。 其の徳凡く廣く崇拝す。(古記より謹写)

誠は誠に通じ神佛となる。神佛は視界に止らず誠心(精神)にある。誠心の在る所に神佛あり。 神佛とは人の誠心なり。

観音堂世話人

上の舞鶴城とは福岡城のことである。 『筑前國続風土記拾遺』巻之2 福岡神社佛閣 上 新大工町 の項に「本尊ハ千手坐像長8寸許り。傅教作或聖徳太子作とも云なり。」とある。

縁日(案内板より)

ひとくちメモ1 phrases

水導観音堂は黒門公民館の敷地内にある。というよりも公民館が水導観音堂の境内にあると言ったほうが良いのかもしれない。 作者は観音堂のガラス越に8寸(≒24cm)の観音様を確認しようとしたができなかった。 観音堂の脇には多数の石仏も安置されている。