『筑前國続風土記拾遺』巻之43 早良郡 上 姪濱村の項に「三ヶ町に在。真宗西本願寺の末也。寛永19年16422月木佛寺号を許る。」とある。
同書によれば、開山は三浦小太郎(剃髪後は道益1509-1580)。 享禄元年1528に光照寺を建てる。 その後寺号を万正寺に改める[1]。
道益は剃髪前は鎮西探題であった澁川尭顕の家来であり、この地はその澁川家の菩提寺(光雲山 寂照坊)のあった跡地である。 "光照寺"の寺号もその菩提寺の寺号から二文字をとってつけられているという。
万正寺裏手には探題塚がある。
当寺の本堂内には欄間の彫物、また天井中央部には天女の彫物、絵襖、その他、内陣前の2本の丸柱には灯籠が付き、これらはそれぞれ建物の古さを物語っている。 また、本尊阿弥陀如来像を近くでよく見ると、胴体部分の衣には、金箔の上に黒の線で描かれた繊細な模様が見える。 これも他ではあまり見かけない珍しいものだ。住職の話では、現本堂は約二百年前の建立という。()
万正寺は旧唐津街道の姪浜宿の東構口のすぐ外側にあたる場所に伽藍を構えている。 二階建の山門・本堂はかなりの年代を感じる。 春には、本堂前のしだれ桜がみごとである。
『筑前名所図会』の右端に描かれている。現代の東構口とほぼ同じ位置関係である。