お寺めぐりの友

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() 車僧観音堂(くるまぞうかんのんどう) 不詳

歴史

御堂の正面に掲げられている銅板製の案内板の内容を下に記す。

車僧(深山正虎)観音の由来

昔から車僧観音は霊地の一つにかぞえられていたところで観音と云っているのは車僧が熱心な観音の信仰者だったことによるといわれている。

車僧は深山正虎(しんざんしょうこ)禅師[1]と称し京都太秦海生寺[2]や大和国吉野宝泉寺[3]の開山である。

つねに破れ車に乗ってその欲する所に行くので世人呼んで車僧といった。 又よく700年前の話をするので700歳とも言った。

一夏、中国の鳥窠道林(ちょうかどうりん)[4]の風を慕って箱崎に来て承天寺直翁智侃(じきおうちかん)禅師1245-1322[5](承天寺第9世・東福寺第10世)に謁して僧となった。

後、庵を山科の山中に結び、いつも時菓をもって東福寺に智侃禅師を訪ね、生年は元亨2年1322ママ[6]と云われているが迁化の年は不詳である。

海生寺は始め海蔵寺と云ったのを改めたとも云われ車僧が座禅ママした当地の松は明治8年1875伐採された。

「博多と禅僧」三宅避け壷洞著より抜萃

能の題目の一つ「車僧」の登場人物として有名であるようだ(Links②参照のこと)。

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

観音堂は民家の脇にひっそりと建てられている。 狭い境内には、大きな石製の覆屋に守られた多数の石、大正2年銘の石碑などが観られる。 堂内には真新しい生花が供えられており、近隣の方々の信仰心の篤さを感じさせる。

観音堂脇には用水井戸の石碑と、古い石が確認できる。 このすぐ西には網屋天満宮が鎮座しており、その付近には江戸期に藩主の御茶屋があったという。 観音堂脇の町内の掲示板の上には「茶屋小路掲示板」と記され、その面影を感じさせる。

『筑前國続風土記拾遺』巻之39 表粕屋郡 上 箱崎村の項

車僧観音

中小路に在。昔海生寺と云禪寺の址と云。 承天寺の廃寺簿に出たり。 今村人海蔵寺と云ハ誤ならんか。 小堂の内に自然石に梵字を刻めるを安置して車僧観音と云。 此地の樹上に一夏坐禅せし事有。 此所成へし。扶桑隠逸傳云。(後略)

脚注

関連寺院

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