お寺めぐりの友

PC版

補陀山(ほださん) 興宗寺(こうしゅうじ) [興宗禅寺] 曹洞宗

歴史

『筑前國続風土記』巻之6 那珂郡下によれば下記のようである。

高宮岩屋興宗寺 曹洞宗

元々穴観音があり、福岡藩の第2代藩主黒田忠之がこの観音に祈ったことがあり、その時拝屋を建てた。 その後この拝屋が壊れた為、元禄6年1693長円寺の住職湛堂(たんどう)和尚が穴観音を修理し、拝屋を再建し、その下に石段を築いた。その石段の下に寺を建て補蛇山興宗寺とした。

興宗寺はもともと遠賀郡熊手村(現在のJR黒崎駅近く)にあり、遠賀郡の 龍昌寺に属していたが、廃絶していたため、湛堂和尚が龍昌寺より寺号を譲り受けここに再興した。

瑞鳳山 東林寺のパンフレット『南方録と茶の心』には「東林寺と興宗寺は卍山道白(まんざんどうはく)が開いた」との記述がある。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪』によると、当寺には黒田家との縁故を明らかにする寺宝が多くあり、木造の地蔵菩薩(行基作)もその一つであるという。()

ひとくちメモ

本堂前は石庭風の造り。インド菩提樹・ツバキ・ヤマモモ他の木々がみられる。 本堂に向かって右手前の三十三観音は普段作者が見る石仏よりも立体感がある。 穴観音堂は本堂に向かって右手の石段を登った所にある。 四十七義士の墓はその石段脇にある。 毎年12月14日には盛大に義士祭が催される。

穴観音堂

観音堂は大岩で囲まれた石窟である。 観音堂の前には拝殿があり、ちょっとした休憩所のような趣。 絵馬が2枚掛けられている。 境内の案内板の内容を下に記す。

このあたりは百塚(ひゃくづか)といって古墳群のあった所であるが、福岡城が築かれた際に、その古墳の石が多く利用され、ここの古墳だけが供養のため残されたという。 石室内には、阿弥陀(あみだ)(阿弥陀如来)、観音、勢至(せいし)(勢姿菩薩)などが彫刻してあり、世に穴観音(あなかんのん)として知られている。また、境内には赤穂四十七士の墓がある。


義士祭

昭和10年1935篤志家の木原善太郎氏が私財を投じ、当寺境内に赤穂四十七義士の墳墓を建立。 「青少年の健全育成と日本精神作興」の為という。 配列から地形、玉垣まで東京高輪泉岳寺のものと同形式のものである。 福岡市義士会はこれを期に結成される。 遠山満が名誉会長となった。 以降。毎年12月14日に祭典が挙行されている。 (義士祭で配布されたパンフレットより)

、初参加。 大変な賑わいであった。 メインエベントと思われる「抱え大筒」は時間の関係で見れなかった。残念。 檀家さんの奥様方の振る舞う、ソバ・おかゆも美味でした。


関連寺院

Top