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鶴城山(かくじょうざん) 光専寺(こうせんじ) 浄土真宗本願寺派

歴史

筑前國続風土記』『福岡・博多町名誌』によれば、 慶長15年1610浄徳が現在の中央区天神2丁目付近(旧薬院町)に建立した。 その後、昭和35年1960に現在の地に移転。

寛永15年1638黒田光之の母の弟(叔父)の新見太郎兵衛がこの寺に葬られた。 その墓碑と思われるものが、山門を入ってすぐ左側にある。(下の写真を参照の事)

浄徳は、福岡市中央区にある善龍寺も建立している。 詳細は『筑前國続風土記拾遺』をご覧ください。

ひとくちメモ

平尾の閑静な住宅街に伽藍を構えている。

筑前國続風土記拾遺』巻之3 福岡神社佛閣 下 藥院町の項

藥院町横町にあり。 真宗西本願寺直末なり。 開基の僧浄徳ハ肥後國熊本の士城氏の子にて、 幼名を長千代と称す。 18歳にして薙髪し、25歳の時當國に来り、俗縁に依て田尻氏彦左衛門祖を主とす。 慶長15年1638興雲公[1]より今の地に寺地を賜ハり。材木を施入し給ひて本堂を創立せしめらる。 寛永15年1638本山より四幅の影像を與へらる。慶長17年4月準如上人寺号免許の事有、其書後に焼失す。

此寺に照壽院俗名新見太郎兵衛の位牌(ならびに)画像を置、墳墓をも築けり。 (より)て寺産として米30俵を寄附し給ふ。今寺領30石差紙にて渡さる。

延宝年中1673-16814世元宿住持より真宗一派の觸頭となり。

元禄8年1695光照院[2]を寺内に葬る。是より年々靈供米2俵を寄納せらる。 桂壽院万治2年8月28日新見太郎兵衛母の位牌も此寺に置り。 開山浄徳退隠の後唐人町善龍寺を建立す事ハ善龍寺の條に記す。

脚注

関連寺院

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