お寺めぐりの友

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萬歳山() 光明寺(こうみょうじ) [小田観音] 不詳

歴史

境内の案内板の内容をそのまま引用する。

光明寺(小田観音堂(こたかんのんどう)

この寺は、神亀(じんき)5年728に、聖武天皇の勅願寺として、 法隠禅師(ほういんぜんじ)が開山となり建立されました。 当時は、七堂伽藍が立ち並び、祈祷殿や鐘撞堂、ふもとには大門もありました。

ご本尊の千手観音(小田観音)は、清賀上人(せいがしょうにん)(生没年不詳)の作で、 「福岡三観音(他は、千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん) の雷山観音、 正覚寺の油山観音)」の一つと伝えられています。 脇立(わきだち)は十一面観音と不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)です。

また、ここは、和銅(わどう)6年713年に始まった日本最古の観音霊場と云われる「九州西国霊場」[1]の第13番札所にもなっています。

小田支石墓(こたしせきぼ)は、昭和10年1935に、光明寺の東に位置する小田砂丘遺跡において発見されましたが、 現在では大石の一部のみが残されるのみとなっています。

[平成14年 西区役所]

参道口に庚申塔と並んで約2m四方の水が染み出ている井戸がある。 これは『拾遺』に記された空也上人が衣を洗ったという「染井戸」ではなかろうか?

ひとくちメモ

光明寺は山の中腹に伽藍を構えている。麓から300mほどはなだらかな坂であるが、そこからは かなり急な坂道を登って行かないといけない。 最後は100段超の急傾斜の石段がある。この石段は作者が今まで見たなかで一番の急勾配である。

お寺の関係者は常勤していないようであるが、本堂内に上がらせて頂きお参りもできた。

「筑前国中三十三観音霊場」の第13番札所となっているが、近くの福寿寺が納経書になっている。

福岡県嘉麻市にある益富山 円通寺はここの観音様を分祀して祀られているという。

伊藤氏メモ本堂へ上がる石段は急で少々ハードでした。 数えると、4段+57段+49段の計110段。とはいえ、段数よりも、その急峻さが太股に応えました。 なお、本寺は現在無住ですが、近在の方によると、その管理等は近くにある福寿寺さんがされているとのことでした。

また、地図上は、本寺に並んで大日寺の記載も見られますが、 同一敷地内すぐ傍にある小さなお堂に大日寺の表示がされているものでした。()

筑前國続風土記拾遺』巻之下48 志摩郡 中 小田村の項

光明寺址

小賦蔵にあり。 昔は此山邉に清賀上人建立の大伽藍ありて萬歳山光明寺と號す七堂備ハりて巨刹なりしか 一時戦火に罹りて廃絶せしといふ。

今観音堂あり。 國中13番の札所なり。 本尊ハ千手観音像長7尺5寸詫摩作にて脇立は十一面観音像長6尺5寸()[2]の像長4尺5寸なり。 多門持國ニ天の像各長4尺も有。 又朽木の古佛像5躯有。

境内に大日堂、稲荷の小祠有。■七堂の址とて登りゆく坂道の左右に在。 各石佛を建て表とせり。

又子院6坊古薗坊 花薗坊 赤江坊 水上坊 杉谷坊 明光坊有りしか今は其名のミ残れり。 又山下小賦蔵入口に大門と云所有。 是當寺昔寺門を置し跡なりといふ。

染井戸

瓦薗と云所にあり。昔空也上人光明寺に詣り掛錫し此井の水にて法衣を洗ひけるか(たちまち)()[3]に染ミぬ。 故に此名ありとなん。

脚注

関連寺院

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