『筑前國続風土記拾遺』巻之44 早良郡 中 西村の項に「廣瀬に在。真宗西京都端坊の末なり。 延寳5年(1677)4月覺玄といふ僧に寺号木佛を許さる。」とある。
当寺はもと峰の方にあったが、火災に遭いこの地に移った[1]といい、戦後1年間ほど無住のときがあった。説によれば、開基は細川五位尉蔵人光行の子孫之丞で、出家して天台宗の寺を建立したといわれ、延宝5年(1677)今の宗旨に改めた。
門前は田園風景がみられる。その先には油山山系の山々が見える。裏手には室見川が流れている。
伊藤氏メモお寺背後の室見川のせせらぎや鳥の声の聞こえるのどかな環境の中にありました。()
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