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神感山大悲院()顕孝寺(けんこうじ)☆☆☆浄土宗

歴史

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。

鎌倉末期(1320年代)の開基で、臨済宗の大寺として栄えたが、天正年間(1573-1592)の兵火で焼亡し廃寺となる[1]。 その後、慶長19年(1614)、正誉見貞[2]が浄土宗の寺として再興する。 「顕孝寺は、鎌倉末期に豊後守護鎮西探題引付頭人の大友貞宗が臨済宗黄竜派の闡堤正貝を開山として建てた寺である」(Links① より)。

現本堂は昭和61年(1986)再建。()

本堂裏手には「開山 闡提正具襌師 臨済禪宗 神感山 顕考襌寺旧跡」と記された石碑がある。 顕考襌寺については、当ページの末尾に記事があります。

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

顕孝寺は多々良川に程近いところに伽藍を構えている。 本堂の欄干は朱色で色鮮やかである。

境内には地蔵堂・青面金剛碑(「享保十年(1725)二月吉日」銘)などがある。

顕孝禅寺

当寺の本堂裏手を登った所に石碑がある。 表面に「開山 闡提正具襌師 臨済禪宗 神感山 顕考襌寺旧跡」、 石碑の両側面にそれぞれ、「開基 大友貞宗[3] 現住 勝楽寺 住職 襌徹」 「奉献 昭和五十七年(1982)三月大安 吉祥日」とある。

ここで勝楽寺とは、福岡市東区箱崎の勝楽寺のことだろう。

『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡 表 顕孝寺の項によれば往時は博多聖福寺承天寺に並ぶ大寺であったようだ。 同書の記事を一部引用する。

本尊は釋迦佛にして、脇侍は文殊普賢なりしとかや。(中略) 本堂(5間7間)、客殿(5間7間)、鐘楼、厨、輪蔵等あり。 塔頭10區、末寺10箇寺ありしとかや。

寺領糟屋郡及筑後の内にて10町有りしと云。4月8日には、絹笠[4]4本、聖福寺より来り、8本は箱崎より持来て佛生会を執行せしとぞ。

無隠元晦は一時、当寺の住職をつとめた。

『筑前國続風土記拾遺』巻之39 表糟屋郡 上 多々良村の項

筑前國続風土記拾遺』巻之39 表糟屋郡 上 多々良村の項に下記の記事がある。

顕孝寺

(アキ)に在。 浄土宗鎮西派神感山大悲院と云。箱崎一光寺に属す。 慶長年中(1596-1615)見貞と云僧開基す。 (見貞ハ寺傅に、筑後柳川立花家臣十時摂津守弟にして、寛永2年12月に寂すと有。)

津屋村顕孝寺の古刹を此時再興せしと、寺記に見へたれと然にハ非す。 別寺也。 其由本編にも見へたり。

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脚注

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