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神感山大悲院() 顕孝寺(けんこうじ) 浄土宗

歴史

筑前國続風土記拾遺』巻之39 表糟屋郡 上 多々良村の項に下記の記事がある。

顕孝寺

アキに在。 浄土宗鎮西派神感山大悲院と云。箱崎一光寺に属す。 慶長年中1596-1615見貞と云僧開基す。 見貞ハ寺傅に、筑後柳川立花家臣十時摂津守弟にして、寛永2年12月に寂すと有。

津屋村顕孝寺の古刹を此時再興せしと、寺記に見へたれと然にハ非す。 別寺也。 其由本編にも見へたり。

本堂裏手には「臨済宗 神感山 顕孝禅寺跡」の石碑がある。山号・寺号共に当寺と同じである。 『筑前國続風土記』巻之18によれば、臨済宗 顕孝禅寺は箱崎・勝楽寺 の末寺であったようである。同寺はいつの日か廃寺となったようである。

『筑前國続風土記拾遺』巻之39 表糟屋郡 上 津屋村の項に"顕孝寺旧址"の記事がある。 大刹であったと記されている。 津屋村と多々良村の位置関係は作者は知らないが、妙正寺が同じ津屋村の項に記されているのでお互い隣合わせの場所であったのであろう。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪 』に次のような記載がある。

鎌倉末期1320年代の開基で、臨済宗の大寺として栄えたが、天正年間1573-1592の兵火で焼亡し廃寺となる。 その後、慶長19年(1614)、正誉見貞が浄土宗の寺として再興する。 「顕孝寺は、鎌倉末期に豊後守護鎮西探題引付頭人の大友貞宗が臨済宗黄竜派の闡堤正貝を開山として建てた寺である」(川添昭二『東アジアの国際都市博多』より)。

現本堂は昭和61年再建。()

ひとくちメモ

顕孝寺は多々良川に程近いところに伽藍を構えている。 本堂の欄干は朱色で特徴的である。

顕孝寺のすぐ東側は妙正寺である。

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