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大悲山() 観音寺(かんのんじ) 浄土宗

歴史5 phrases

博多がめ煮 博多区・中央区編』によれば、慶長12年1607の創建で大悲山と号するという。 古来西側に隣接する西方寺の塔頭で禹弘(うこう)と呼ばれていたが、 行基作の聖観音菩薩像が安置されていることで観音寺となったという。 この観音様は博多七観音のひとつと言われる。

博多大空襲で焼失し、現在は鉄筋のビルになっている。一階が商店で二階が観音寺である。

『博多町名散歩』によると、このあたりは旧芥屋町(けやまち)と呼ばれていたという。 糸島市の漁民が魚を売りにきて仮納屋を建てていたことが町の名の由来という。

伊藤氏メモこの寺に伝わる行基作とされる観音像が、筑前33霊場の6番札所と、石城33霊場の29番札所、そして博多七観音の一つに数えられる仏様である。『石城志』によると、この観音様には次のような謂れが伝えられる。

神亀3年726、南都薬師寺の僧で渡来僧の行基菩薩が聖武天皇の勅を奉じて大宰府観世音寺に在り、近隣を行脚していた頃、博多の袖湊の南北に架かる橋が腐朽しているのを行基が知り、架け直そうとしているときに不思議な霊夢を見た。 その橋の朽ちた榧の木の橋桁の中の精気が女性の姿になって行基の夢の中に出てきたという。 そこで行基は、取り替えて廃材となったこの榧の古木で3体の観音像を造ったという。 1体はこの観音寺に祀られ、他の2体は肥前竹崎の観音寺と、佐賀明雲寺の本尊であると伝えられる。

(『筑前の寺めぐり 』より)()

ひとくちメモ1 phrases

寺前の駐車場脇には祠があり、そこに石仏が4体安置されている。 そのうち2体はかなり古いもののようである、

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