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袖湊山(ちゅうそうざん) 順正寺(じゅんしょうじ) 浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ秀吉の九州征伐の天正14年1586、糸島郡高祖の城主原田信種は秀吉に戦いを挑んだが、多勢に無勢で敗戦の将となった。 原田信種の家臣であった笠太炊助の末子・彦兵衛は、川口町妙行寺の住職仲玄の弟子となり、名を教善と改め、その後住職仲玄の後を継ぎ妙行寺の住職となった。

教善(彦兵衛)の次男・空叔は、天正19年1591妙行寺の裏地に袖湊山順正寺(東本願寺派)を建立した。順正寺3世の空宿は、寛文元年1661順正寺を川口町から祇園町に移転し、寛文10年1670本願寺派に転派。現在に至っている(HP「浄土真宗本願寺派 福岡教区福岡組-順正寺」より) ()

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

順正寺は同じ浄土真宗本願寺派の寺院、万行寺善照寺の間に近接して伽藍を構えている。

春は本堂脇の桜の花が美しい。本堂裏にはこの町中にしては広い墓地がある。

2013年山門・本堂が改装され真新しい境内となった。 改装前の写真も下に残しておく。

筑前國続風土記拾遺』巻之9 博多寺院(下)の記事

真宗西本願寺派の直末なり。開基の僧浄喜ハ妙行寺第三世の住持なりしか、同寺の隣地(川口町の境内)に一宇を起立 し、妙行寺を弟の了与に譲りて此寺に轉住す。寛文年中1661-1672二世竹立今の地に移せり。 初は妙行寺と同しく東派なりしを此比より西派に属せり。

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