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萬松山(ばんしょうざん)承天寺(じょうてんじ)[承天禅寺]★★臨済宗東福寺派

イベント情報(今日から2ヶ月間)

**新型コロナウイルスの影響で中止イベントが多発しています。下記のイベントは一部中止となっている可能性があります。参加予定の方々はご自分で確認の上ご参加下さい。情報収集中です。ご容赦ください。**

日時内容備考
2021-11-11(木)
(10:00〜11:00)
川上音二郎忌川上音二郎を顕彰し、承天寺神保老大師による法要などを実施されます。

歴史

境内の案内板の内容をそのまま記載する。

大宰少弐(だざいのしょうに)藤原(ふじわらの)(武藤)資頼(すけより)大檀越(だいだんえつ)となり、宋の帰化人で貿易商の 謝国明(しゃこくめい)が、 宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし) を助けて仁治3年1242建てた寺で、聖一国師は博多山笠の創始者といわれる。 境内には、博多織の始祖満田彌三右衛門(みつたやざえもん)の碑や、 聖一国師が伝えたとされる饂飩(うどん)蕎麦(そば)饅頭(まんじゅう)発祥の記念碑がある他、墓所には新派劇の創始者川上音次郎(かわかみおとじろう)の墓がある。

方丈の前には石庭「洗涛庭」がある。承天寺の僧侶が神社(筥崎宮)にお参りする珍しい行事、報賽式(ほうさいしき)の様子はページ最下部に掲載する。

ひとくちメモ

博多祇園山笠発祥の地とされる。由来の解説についてはLinks④ に譲る。 『筑前名所図会』巻二には当時の承天寺が描かれている。

地元の方の話によれば、現在は仏殿のある区画と方丈のある区画は道路で分断されているが、 これは福岡市の区画整理(博多駅移転時の都市計画)のときになされたものであるとのことである。

伊藤氏メモ「死んだ後も、旅役者を乗せた汽車を見守りたい」という音二郎の遺志により、 当時の博多駅に近く線路そばにあった当寺に墓が設けられることになったとか。 今も、音二郎の親戚縁者がその墓を守っている。(「博学博多200」より)()

伊藤氏メモ承天寺前の博多千年門はすっかり出来上がっていました(竣工式は28日)。 境内にある[御饅頭所の碑]の元となった、聖一国師が書いたと言われる[御饅頭所の看板]は、オリジナルは 東京の老舗菓子舗[とらや]が所蔵し、その複製は明治通り沿い上川端の鶏卵素麺の[松屋菓子舗]が かなり古い時代から所蔵していましたが、この松屋菓子舗が店舗を閉めたのに伴い、 こちらの複製の方の看板は昨年(平成25年2013)から承天寺本堂に来ています。()

洗涛庭

伊藤氏メモ承天寺は平成3年1991に開創750年を迎えたが、これを機に山門や諸堂、庭などを修復・再建して寺容を一新した。方丈の前庭は洗涛庭(せんとうてい)と命名され、京都龍安寺の石庭にも劣らぬ立派な白砂の庭となり、静謐の空間を現出した。

また、毎年近隣の寺院等と共同で行われるイベント「博多旧市街ライトアップウォーク(博多千年煌夜)」で照らし出された洗涛庭は荘厳かつ幻想的で、多くの見物客が訪れる。(『福岡の名刹・古刹 55ケ寺』より)()

博多千年門

2014-03-28完成。 高さ・幅共8m。 木造瓦葺き四脚門。 昔は博多の入り口「辻堂口門(つじどうぐちもん)」に建てられていた。


報賽式(ほうさいしき)

承天寺の開祖円爾弁円(聖一国師)が仁治2年1241、宋(中国)から日本に戻る時、 海上で嵐に遭遇した際、八幡神のご加護により、無事に帰国することができた。 翌年、八幡神を祀る筥崎宮にお礼参りを行なったことが始まりとされている。

禅宗の僧侶が、筥崎宮にお参するめずらしい伝統行事である。 毎年1月11日10:00より行われる。

僧侶が列をなし一の鳥居をくぐり、筥崎宮に入場し、拝殿で最敬礼。 その後全員で拝殿内を八の字状にグルグルまわり、読経する光景は圧巻である。

尚、筥崎宮ではこの行事を「僧侶方お礼参り」と呼んでいるようである。

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