お寺めぐりの友

HOME PC版

海龍山清照院() 浄念寺(じょうねんじ) 西山浄土宗

情報標高:7.7m

概算標高

7.7m   

備考

歴史10 phrases

以下は伊藤氏から頂いた情報である。そのまま引用させて頂く。

以下、当寺の由緒書きやお寺の方のお話などからによるものです。

当寺は西山浄土宗で、福岡市内にはほかには大長寺称念寺のみ。 本山は、京都粟生の総本山光明寺

開山は、桂空舜道上人。 糸島の志摩郡波多江村の人で幼名を直千代という。代々武士の一族であったが、父病死、母は先に亡くなっており、 直千代は孤児となり剃髪し僧となる。 大分中津の合元寺開山の空誉上人 (黒田如水と同じく播磨の人。生まれは明石で、姫路近くの御着郡心光寺で修行中に如水と親交を結んだもよう) に学業を乞い、その勧めにより、京都粟生の光明寺で修行し、その後、新宮町の西念寺第3世、 波多江村西方寺や旧:智福寺(橋口町)の開山となり、 福岡にも小一寺をと藩主黒田長政公に開山を志願し、 縁を求めて櫛橋宗雪(黒田如水夫人の弟:現在本堂3階の納骨堂に祀られている)らを檀徒とし、 慶長9年(1604年)、浄念寺本堂落成。今年で落慶より410年になり、現在の住職で25世。

この間、一番たいへんだったのは昭和20年6月の福岡大空襲。 何もかも焼失して、ご本尊はじめ何一つ残らず、唯一、過去帳が地中に埋めていて助かったのみ。 今の地所は、焼け野原となった後、 市の区画整理で昭和通りが北側にあった墓地の中に通ったりとずいぶん敷地が削られたりでかなり狭くなってしまった。 今の香蘭ファッション専門学校の場所が墓地のあった所で、その北裏はすぐ波打ち際であった。 戦後、寺は3回建て替わり。戦後初めての建替えの際は、資金が足りず、墓地を整理して土地を売り、いち早く再建を行った。 同時に敷地内に海龍幼稚園を開園。 大空襲前は、昔タイプの建築物であったが、戦後建て替えたときに今の形(インドかタイの形)になった。 多分、戦時中に南方に行かれた方のご意見によったものと思われる。

なお、ご本尊阿弥陀如来は兵庫県龍野市の田中病院の美術品として奉られていたものを先々代の住職が譲り受けたものらしい。

筑前國続風土記』巻之三によれば下記の通りである。

山号を海龍山清照院と云う。 開山は桂空舜道で慶長5年1600に亡くなった。 浄念寺と大長寺とともに「國中浄土宗西山派の號令を握る」とある。 寺内に照福院(黒田如水の夫人)の弟の櫛橋宗雪の墓がある。

筑前國續風土記付録』巻之2 福岡上の大工町の項に浄念寺の説明が記述されている。 桂空舜道のおいたちなど事細かく記載されている。 桂空舜道は空誉上人を師としていること、 『筑前國続風土記』では桂空舜道の亡くなった正保2年1646が誤って慶長5年となっていることなども記載されている。

境内の石碑に空誉上人の略歴が掲示されている。本ページ末尾に掲示する。

ひとくちメモ2 phrases

上で書かれている空誉上人の処刑については風に吹かれて:福岡刑場跡と空誉上人にも詳しく記載されている。

浄念寺の前は旧唐津街道である。 『筑前名所図会』巻一に当時の様子が描かれている。 尚、右図の詳しい説明は円応寺のページに記載している。

関連寺院7