お寺めぐりの友

PC版

光星山() 寶照院北辰堂(ほうしょういんほくしんどう) [宝照院・博多の北辰様] 天台寺修験派

歴史

境内で配布されているパンフレットの内容をそのまま記載する。

当院は元々智欒院と号し、永い間無住の時代が続き古文書等の語録は紛散し正確な創立年代については不明である。 しかし、明和4年1767の竈門山入峰伝記にはその名が見え少なくとも江戸時代初期には創建されたものと推測され、開山は山崎見龍と云う人物と伝えられている。

江戸期には、竈門山座主配下の博多における修験寺院であった。

明治になり神仏分離令・廃仏毀釈により修験道は廃止され山を降りざるを得なかった山伏の中で宝満山25坊の内、 大黒天奥ノ坊95代重弁が明治6年入寺して、その法統を引き継いでいる。

明治33年1900に糸島郡志摩町小田にあった宝照院と合併し、その際に寺号を現在の宝照院に改められた。 本尊の北辰妙見は北極星を神格化したもので、中国からの渡来佛と云われ公開はされず蛇亀に乗った女神像と 伝えられている。

昔より(火除けの神)として信仰され、本尊をお配りしているこの地域は先の大戦でも空襲の難を逃れ、現在まで殆ど火災も起きていない。[1]

宝満山歴史散歩』では、大黒天は「塩売大黒」「塩振り大黒」などの異名があるという。 その由来は同書をご覧ください。 毎年12月2日と3日は「大黒天福迎祭」が開催され、木造大黒天像が開帳される。

ひとくちメモ

周辺は近代的な建物が立ち並ぶが、門前の道は昔ながらの狭い道である。 境内に入ると、手水、石仏、慶應元年1865銘北辰宮再建碑などがコンパクトに安置されている。 (この再建碑の保存状態は良好である。) 北辰堂はその一番奥にある。 北辰堂前で礼拝していると、隣の喫茶店から寺族の方と思われる女性の方が出てこられ、 北辰堂の話をいろいろしていただけた。

門前の道は、毎年7月15日に催される博多祇園山笠「追い山」のコースとなっている。 その東南側の四辻は「博多祇園山笠最大難所」となっている。 山笠は大博通りから南西に進み、この狭い四辻で90度右にカーブ、寶照院北辰堂の門前を通り、一気に決勝点に近い昭和通りに駆け抜ける。

関連寺院

Top