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照福山顕光院(しょうふくざんけんこういん) 圓應寺(えんのうじ) [円応寺] ★★ 浄土宗  FACEBOOK  TWITTER

イベント情報(今日から2ヶ月間)

2019-07-07
10:30〜14:00
弁財天大祭 弁財天ご神体ご開帳各種イベントあり。
※どなたでも参加可。参拝:無料。平服でも可。

情報標高:6.5m

概算標高

6.5m   

備考

歴史9 phrases

詳細は上のホームページをご覧ください。 2009年境内にあった案内板の内容がよくまとまっているので下記に引用する。

浄土宗圓應寺は慶長7年16024月、黒田如水(くろだじょすい)公 の夫人照福院殿が創立した。

当時は照福山顕光院(しょうふくざんけんこういん)と号し、京都知恩院(ちおんいん) に属す。 開基は天蓮社眞譽上人見道和尚(てんれんしゃしんよしょうにんけんうかしょう)[1]である。

照福院殿は播州志方(しかた)の城主櫛橋豊後守伊定(くしはしぶんごのかみこれさだ) の娘で天文22年1552の生まれ。永禄21年156616才で 黒田孝高(よしたか)[2]()長政(ながまさ)[3] を生んだ。戦国時代の武将の妻らしく 前半生は波乱に満ちたものだったという。

寛永4年16278月26日、75才で福岡城で亡くなり照福院殿としてこの寺にまつられた。 寺は昭和20年の戦災にあい、戦後の都市計画で墓地が道路と公園にかかったので照福院殿の墓は崇福寺[4]に移された。 寺内には昭和55年建立の供養塔がある。

墓地は冨禄武家の墓が多く、黒田節の作詞をした国学者二川相近(ふたがわすけちか)、 黒田25騎の桐山丹波守(たんばのかみ)、更には国士無双といわれた玄洋社 頭山満(とうやまみつる)翁の墓もある。

黒田藩との関係から、 孝高(よしたか)公には本尊阿弥陀如来像(快慶(かいけい)作) 長政(ながまさ)公からは月俸および白銀、 忠之(ただゆき)[5] から知行(ちぎょう)百石、 継高(つぐたか)[6] からは早良郡七隈(さわらぐんななくま)村に二万二千坪の 土地を拝領。

寺宝として弁財天一体、大黒天一体がある。弁財天は弘法大師(空海)の直作で、大黒天は 伝教大師(最澄(さいちょう))一刀三礼(いっとうさんらい)の彫刻という。

現在の本堂、納骨堂等の伽藍は昭和54年1979の建立である。

(平成4年1992 第35世 圓譽(えんよ)代)

ひとくちメモ3 phrases

福岡城跡の大手門より北側約150m、昭和通り沿いにある。 通りはかなりの交通量である。 本堂脇には藤棚がある。花の時期にはさぞ綺麗な花がみれることであろう。 山門脇には立て札。 「圓應寺へ御参拝の方はご自由にお入りください。 10時より17時まで 執事」。 お寺めぐりの人たちにはうれしいのお寺のひとつである。

2013年からは、十夜会法要と併せて、竹燈籠でライトアップされた夜の特別拝観が実施されることになった。 ろうそくの光だけの境内は幻想的な空間となっていた。 写真はこちら

写経・写仏体験に参加。 初体験である。ろうそくの灯りのみの中での写経。たまには良い。 写真はこちら

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