お寺めぐりの友

HOME PC版

法王山宝珠院() 大乗寺跡(だいじょうじあと) 真言宗

歴史4 phrases

境内の案内板の内容を記載する。

大乗寺は法皇山宝珠院(ほうおうざんほうじゅいん)と号して、 昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、 のち浄土宗に転じ[1]、更に真言宗に改宗[2]、大正9年1920長宮院[3]と合併して、 中央区大手門一丁目[4]に移り 戦災[5]で焼失しました。

この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において 敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩の板碑、蒙古碇石(もうこいかりいし)があります。

福岡市

当寺は筑前国中三十三観音霊場では、第1番と第9番に挙げられているが、第9番は大乗寺に合併された長宮院であったようである。

ひとくちメモ4 phrases

大乗寺跡は旧冷泉小学校の北側のブロック塀に寄り添うような小さな区画として保存されている。その前は冷泉公園である。

川端(かわばた)町(今の上川端商店街)の様子がよく分かる。

筑前國続風土記』に記載されている宝物(寶珠と千手観音)はいったい何処に行ったのであろうか?

伊藤氏メモ藩政時代、博多には常設の芝居小屋はなく、寺院の境内や広場に仮小屋が建てられ、 上方歌舞伎や領内の芦屋役者(遠賀)や植木役者(直方)らが来演していた。 大乗寺は境内も広く、たびたび仮小屋が建てられ、興行があり、これらはすべて大乗寺芝居と総称された。 しかし、明治も初年以降は、博多にも本格的な常設劇場が出来るところとなり、大乗寺芝居も衰退していったという。(『博多 旧町名歴史散歩 』より)()

関連寺院4