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鏡智山慈眼院() 大圓寺(だいえんじ) [大佛大圓寺・大仏大円寺・大円寺] 浄土宗

歴史7 phrases

上のホームページによれば、康平3年1060早良区西入部に天台宗として創建。 その後平清盛によって衰退。 文永8年1271聖福寺の第3祖大応国師が宋より帰朝し、 大圓寺の荒廃を嘆き臨済禅宗として復興するも戦国期の戦火により荒廃。 慶長12年1607頃、黒田如水公夫人の援助により荒戸山山麓に浄土宗として再建。 慶安2年1649荒戸山に東照宮を建立することとなり、立退き現在の地に移転。 本尊の大佛は安永5年1776開眼。 総高4.85m。厄除け不燃(やけず)の大仏として信仰されているという。

福岡町名散歩 』によれば、この近辺は昔文字どおり「大円寺町(だいえんじのちょう)」と呼ばれ、黒田藩の中級武士の屋敷町であったとのこと。

伊藤氏メモ山門を入って左手には正木昌陽の碑、寺内中庭には防塁石あり。(『福岡寺院探訪』より)()

大圓寺の山門は棟札によれば、安政6年185912月に博多万行寺山門として上棟。 昭和48年、大圓寺山門として復元上棟とある。

山門脇には「第16番 圓光大師廿五霊場」と赤字で刻まれた石塔がある。 「圓光大師」とは、言わずもがな法然の事である。 ネットで検索すると「法然上人二十五霊場」はあるようである。 ただ、関西地域中心の霊場で大圓寺はエントリーされていない。 先々の宿題としよう。

山門を入って左手には「ちんちく塀の竹」がある。 石製の案内板によれば、蓬莱竹の一種。江戸期に城下の下級武士が生垣とした。 この竹を整形して弓矢の矢とし、焼いて鉄砲の火縄の材料とした。 これを内職として家族を養った人を「チンチク殿(どん)」と呼んだ。 旧大圓寺街、旧桝木屋町、地行方面に多かったが現存せずという。

『福岡寺院探訪』にある正木昌陽の碑は未確認。他の場所に移動されたのかもしれない。 防塁石は、東側の玄関の車寄せの所に極一部が展示されている。

ひとくちメモ1 phrases

大圓寺は、唐人町の小高い丘の上に伽藍を構えている。その、五重塔はかなり遠くからも見え恰好の目印である。

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