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()東蓮寺薬師堂(とうれんじやくしどう)[東の陵・東蓮寺跡]☆☆☆仏教礼拝所

歴史

『筑前國続風土記附録』巻之11 御笠郡 中 通古賀村の項に下記の記事がみられる。

○薬師堂2宇(ムラウチ 東の御陵と云。トウリンシ 西の御陵と云。)

上の記事で「東の御陵」が当薬師堂のことと思われる。 では「西の御陵」とは? ここより西方300mほどの所に鷺田川に架けられた朱色の田中橋があるがその橋を渡った田中の森という所にあたる。(Links② より)

また「東連寺」とは、田中熊別(たなかくまわけ)の霊を祀るため、後裔の田中熊秀が建てた寺との伝承が残っている。(Links① より)

現在、GoogleMap上では、当薬師堂の西鉄大牟田線を挟んだ南西側に「東連寺公園(東連寺跡)」「旧小字標石 東蓮寺(とうれんじ)」の2つのランドマークが確認できる。この辺りに「東連寺」あるいは「東蓮寺」という寺があったのだろう。

太宰府市のT.T氏からの情報(2019-04-03)によれば、延暦23年(804)、伝教大師(最澄)が入唐する前あるいは、唐から帰朝後に7佛(伝教七薬師)を作像。 この寺にはそのうち1体が安置されていたのではないかという。当薬師堂の現在のご本尊がそれにあたるかどうかは不詳。

その根拠として『筑前國続風土記』巻之7 御笠郡 上の竃門山神社の項にこの7仏の所在の一つとして「通古賀村東林寺」という記事がある。ここでは「東林寺」となっているが、GoogleMap表記のこの場所が「通古賀」で「東連寺」あるいは「東蓮寺」とされている。『筑前國続風土記』の誤植かGoogleMapの誤植のいずれかで両者は同一の寺の可能性が高い。(記)

筑紫四国八十八カ所霊場90番札所となっている。 この寺域の西側は日田街道である。

町名「通古賀」は「とおのこが」と読む。

ひとくちメモ

薬師堂は小山の頂上の平坦面にある。此の山は薬師山というらしい。 参道口の前は西鉄天神大牟田線の線路。都府楼前駅近くである。 境内には薬師堂の他、十三仏・地蔵堂・法華塔などがみられる。 薬師堂の祭壇には、本尊の薬師如来(木仏)と、その両側に観音菩薩が安置されている。 薬師如来の薬壺が茶碗に見えるのは作者だけだろうか?これは作造後に付け替えられたものだろう。

この山全体は納骨堂・多数の墓石がみられる。 山全体が森となっており、人気(ひとけ)も少ない。ご婦人の単独行は避けるべき。

田中の森

場所はこちら。ここより徒歩10分足らず。 鷺田川に架けられた田中橋を渡った薬局の裏手。この橋の名も「田中長者」ゆかりのものだろう。 近くに「旧小字 田中」の石碑もある。

今はアスファルト敷の境内。僅かに墓碑と思われる石塔と「田中の森」の石碑があるのみである。 周辺は近代建築の建物に囲まれている。

案内板の内容を下に記す。

「田中の森」由来記

記紀の時代[1]、四王寺山に設けられた神武天皇の行在所(あんざいしょ)を警護した、田中熊別(たなかくまわけ)という長者の墓がこの付近にあって「田中の森」(別名「西陵(にしのみささぎ)」)とよばれていました。 墓の周辺は、近年まで木立に覆われていました。

この田中長者は、代々の子孫とも現在の通古賀5丁目にあった「長者屋敷」に住み、「貝出(かいで)」(現都府楼南5丁目)には(かえで)を植えた別荘がありました。 たいへんなお金持ちだった様子が、二日市にいた虎丸長者との勢力くらべを描いた伝説「玉城神社[2]縁起」(1790)に記され、また近くはテレビ「マンガ日本昔ばなし」にも登場しました。

子孫の田中熊秀(たなかくまひで)が熊別を祀った寺は、「東蓮寺」(別名「東陵(ひがしのみささぎ)」現東古賀1・2丁目)の小字名(こあざめい)として、田中長者の名を冠した小字名「田中」(現都府楼南1・2丁目)とともに足跡を残しています。

かつて田中熊別が祭主をつとめ、四王寺山から1300年前に国衙庄(こくがのしょう)に移された「玉城神社」は、長らく通古賀地区の中心的な存在として現在に至っています。

(平成21年9月 通古賀区)


周辺のスポット(4km以内)


脚注

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