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横岳山() 崇福寺別院(そうふくじべついん) 臨済宗大徳寺派

歴史7 phrases

筑前國続風土記』によれば天正年中1573-1592に兵火にかかりほぼ全滅状態であったようである。 近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興されたことが博多崇福寺の案内板に記載されている。

崇福寺別院山門脇の案内板の内容をそのまま引用する。

崇福寺塔頭跡(そうふくじたっちゅうあと)

臨済宗の寺院である横岳山崇福寺は現在の博多区千代の地所に伽藍を構える 以前には、 太宰府市の北、四王寺山裾の横岳にあった。 聖一国師(円爾弁円(えんじべんねん))が仁治2年1241に開堂式を行い、 後に文永9年1272大應国師(だいおうこくし)南浦紹明(なんぽしょうみょう))によって開山されたとされる崇福寺別院とはここのことである。

昭和46年1971秋に、 中心伽藍の東の谷のこの地において崇福寺別院の庫裏が建設されるのに伴い発掘調査がなされ、 崇福寺の塔頭(たっちゅう)跡(寺を構成する施設) である「瑞雲庵」と推定される2棟の礎石建物が発見された。 一つの建物は開山塔(無縫塔(むほうとう))を正面に眺める位置で検出され、 昭堂(しょうどう)または開山堂としての機能が考えられる。建物には瓦が葺かれていた。

また、この南側の谷が宅地開発されるのに伴い平成10年1998に調査され、 谷を盛り土整地して建てられた2棟の東西に長い掘立柱(ほったてばしら)建物、 その東に隣接する丘陵部で石塔群が発見され、 写経石などの遺物が出土した。

この谷奥の右手にある開山塔は大應国師の分骨塔として継承され、 国内の同型式の典型資料として貴重なもので昭和35年19601月12日に県の文化財に指定されている。

ひとくちメモ2 phrases

崇福寺別院は四王寺山の南側の麓に伽藍を構えている。『筑前國続風土記』や手元の資料によれば、 かなりの寺域の広さのようで、法堂跡などの遺跡が点在している。準備不足であまり取材の時間がとれなかった。

また、お参りに行った時は山門が閉められており、本堂のお参りができなかった。写真はいずれも境外から撮影したものである。 次回は山門が開いている時期を見計らってお参りしようと思う。

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