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岩屋山()西正寺(さいしょうじ)☆☆☆浄土真宗本願寺派

歴史

天正14年(1586)、島津勢力4万(一説には5万)の大軍を率いて、 高橋紹運(たかはしじょううん)が籠もる岩屋城に侵攻して来た。 このときの紹運勢はわずかに700ほどであった。 紹運は島津軍の降伏勧告をはねつけて徹底抗戦(岩屋城の戦い)。 結果、半月ほどの攻防戦により紹運をはじめとする高橋勢は7月27日に全員討死にし、 岩屋城は陥落した。紹運享年39歳。

その紹運の老臣藤内左右衛門丞重勝が、 現在の地にこの戦いの戦没者の菩提を弔う為に草庵を結んだのが西正寺の起源である。 現住職はその重勝のご子孫という。

九州歴史資料館の2013年の文化財めぐりのパンフレット『戦国の城と古戦場を歩く』によれば、 西正寺には、木造法蔵菩薩像(桧材 像高19.5cm)が厨子に収められて安置されているという。 岩屋城落城の時に紹運から藤内左右衛門丞重勝に与えられたものという。

柳川市の天叟寺・大牟田市の紹運寺も紹運はじめ岩屋城戦の戦没者の菩提寺となっている。 西正寺をはじめこれらの寺では岩屋城落城の7月27日に毎年法要が営まれているという。

参考:『筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

岩屋城伝本丸跡は西正寺の北方約4km足らずの大城山中腹にある。 もちろん西正寺からも見上げることができる。

九州歴史資料館主催の文化財めぐりに参加。 西鉄二日市駅より高橋紹運の伝首塚、伝岩屋城二の丸、伝本丸などを見学した。 西正寺はそのコース最後の史跡であった。写真には、多数の人たちが写っているが、 同行の方々である。 作者にとっては結構なハードな山登りであった。 団体行動の為、ゆっくりお参りはできなかった。またお参りに行こう。

伊藤氏メモ山門を入ってから本堂入口直前までなだらかなスロープが続き、本堂へは段差をへないまま入れる。バリアフリーにここまで配慮しているお寺は初めてである。「まず本堂におまいりしましょう」の表示もあり、本堂へは自由に入れる。現第19世。

そうそう、ここだけの話ですが、ご対応くださった妙齢の奥様は、女優さんかと思ってしまうような美しい方でした。()

筑前國続風土記拾遺』巻之16 御笠郡 ニ 宰府村の項

西正寺

新町にあり。 京都端坊に属す。 真宗なり。

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