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神護霊厳山() 光明寺(こうみょうじ) [光明禅寺・苔寺] 臨済宗東福寺派

歴史4 phrases

伊藤氏メモ光明寺の開山は博多承天寺住職の鉄牛円心和尚、開創は文永10年1273。 「渡唐天神説話」とは、横岳の崇福寺に滞在した聖一国師の夢の中に天神様(菅原道真)が現れて禅の教えについて問われたので、国師が自分の師、径山(中国杭州にある南宋五山の筆頭・万寿禅寺のこと)の佛鑑禅師(無準師範)を紹介すると、その後天神様は印可の証の法衣を授かって帰って来たという。 その法衣こと「伝衣(でんね)」を安置するために大宰府の霊岩の横に一寺を建立したのが光明寺の始まりと伝えられる。 確かに寺の西側に今も伝衣塔が残っており、由縁を記した案内板が立っている。鉄牛円心和尚は菅原氏の出身で、聖一国師の弟子であり、承天寺の第3世住職である。

光明寺本尊の木造釈迦如来像は平安から鎌倉期の作。 明治初期1868の神仏分離令で廃寺となった天満宮安楽寺から薬師如来ほか主要な仏像が光明寺に移ってきた。 木造十一面観世音菩薩も祀られている。この観音様が筑前国中33観音霊場32番札所のご本尊様であろうか。 坐像で応永19年1412の銘がある。他の寺宝に「牛車天神図」がある。牛車に乗って大宰府に下る菅原道真公を描いた画で、賛に天文14年1545、画家は関州舜圃とある。

光明寺の山門の前に藍染川と書かれた石碑があるが、川らしきものは無くて溝だけである。 近年、九州国立博物館が出来て、このあたりまで整備されて散策路となり、川の上をしゃれた舗装道路が覆ったからである。 光明寺前の散策路を100mほど下ると、伝衣塔と昔の姿の藍染川が少しだけ見えるように残されている。 この小川が愛染川とか染川と言い『筑前国続風土記』にも名前が残る古い川で、御笠川に流れ込む支流の一つという。この川が平安の昔から和歌に詠まれたり、謡曲「藍染川」など、実際よりも文学上で有名な川である。今も国文学関係の研究者が時折訪ねてくるという。(『筑前の寺めぐり 』より)()

寺前の太宰府市の案内板によると、前庭は「仏光石庭」といい、七.五.三の15石で光の字に配石された九州随一の石庭で、 裏庭は「一滴海の庭」といい、青苔(大陸と島を表す)と白砂(水と大海を表す)で構成されている枯山水の庭であるとのことである。

ひとくちメモ2 phrases

光明寺は太宰府天満宮の参道を少しそれたところに伽藍を構えている。裏庭・表庭とも見事である。 初夏は裏庭の苔と木々の緑が美しい。秋の紅葉の時期もよい。

有料であるが本堂内・裏庭の拝観可能。写真撮影も可能である。(但し一言断ってからのほうが良いし、フラッシュは遠慮すべき。)

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