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宝珠山(ほうじゅざん)戒壇院(かいだんいん)★★★臨済宗妙心寺派

歴史

参道前の説明板の内容をそのまま記す。

戒壇院は「天下の三戒壇」の一つとして天平宝字5年(761)筑紫観世音寺境内の西南角に設置された。 唐僧鑑真(がんじん)は5度渡航に失敗し、身は盲目となりながらわが国に戒律を伝え、天平勝宝6年(754)奈良東大寺に戒壇を設けた。 ここ西戒壇は、下野(しもつけ)薬師寺の東戒壇 と同年に創設され、九州の僧侶たちの登壇受戒の道場として継承されてきた。

江戸時代、寛文年間(1661-1672)より黒田藩家臣鎌田昌勝、豪商浦了無(うらりょうむ)等によって再興が続けられ、現在に伝わる開山鑑真和尚像、本尊脇侍(わきじ)、梵鐘なども新造された。 元禄16年(1703)藩命によって博多禅宗四ヶ寺の管理となり、観世音寺を離れ、現在は 博多聖福寺の末寺となっている。 なお本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)は平安時代の作で国の重要文化財に指定されている。

'95 太宰府市

伊藤氏メモ本堂中央の須弥壇前に設えられた戒壇は、高さ50cm程の御影石の土台の上に、四畳半位の広さに方30数cmの黒い平石を敷き詰めて、その周囲を白木の欄干が取り巻くかたちである。戒壇下には天竺(インド)・唐(中国)・大和(奈良/日本)の三国の土が納められている。現在では日本最古の戒壇という。(『福岡の名刹・古刹55ケ寺』より)()

境内では、鐘楼に掛けられた梵鐘(元禄14年(1701)銘)・鑑真和尚の供養塔菩提樹(鑑真が中国より請来したと伝わる)・地蔵堂内の地蔵菩薩(元禄11年(1698)銘)などが見られる。

筑紫四国八十八カ所霊場第1番札所(本尊:釈迦如来)となっている。

ひとくちメモ

江戸期は、仏教各派は武家の寺請(てらうけ)制度・軍事上の施設としての強制利用など民衆支配の手段として 良いように利用されていた。 戒壇院の所属が観世音寺から聖福寺に変更されたのは上記のような理由であったのかもしれない。

九州歴史資料館の『筑前 太宰府 戒壇院』(九州の寺社シリーズ13)に上の大きな理由は禅宗・律宗・天台宗・真言宗の宗派間のもめごとであったとの記述がある。

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