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足立山()長念寺(ちょうねんじ)☆☆☆浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の寵におごり皇位を窺う弓削の道鏡の謀略による御神託を確認する役を勅せられ、宇佐八幡に詣でた和気清麻呂(733-799)は、道鏡の誘惑にも脅迫にも屈せず、堂々とその非なることを復命したので、道鏡は怒り清麻呂の足の筋を切って大隅(現在の鹿児島県にあたる)へ追いやった。

その翌年、孝謙天皇が歿し(770)光仁天皇が即位すると、道鏡は失脚して下野(しもつけ)(現在の栃木県にあたる)へと追われ、清麻呂は都へ召し返されることになった。その都への帰途に、小倉の湯川温泉(現在の北九州市小倉南区湯川)にて療養すると足が立つようになったので、喜びの余りその子に足立の姓を名乗らせたという。

その足立氏の裔が戦国の頃、大友氏の配下として麻底良城(まてらじょう)(現在の朝倉市杷木志波)[1]を守っていたが、あるとき敵襲を受けて敗れ多くの将士を失ったことから、将士たちの霊を弔うべく二人の子を僧籍に入れた。一人は志波に、もう一人は久喜宮に真言宗の寺院を建て足立山長念寺として栄えた。

長念寺は寛永2年(1625)慶甲師のとき、専修念仏に帰依し本願寺准如上人より寺号木仏を許され浄土真宗に転じ、現在に至っている。(以上『杷木町史(昭和56年)』など より)()

門前の道は旧日田街道である。 長念寺のある場所は3ケ寺が近接してあり、 西からこの長念寺、西宗寺、 それらの日田街道を挟んだ向かいに建立寺がある。 いずれも浄土真宗本願寺派の寺院である。

参考:『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

境内には、鐘楼・本堂・庫裏がある。 山門は、かなりの手の込んだ造りとなっている。 特に、屋根下の肘木(ひじき)挿肘木(さしひじき)の組み合わせは見応えがある。

『筑前國続風土記附録』巻之17 上座郡 中 久喜宮村の項

長念寺(カミマチ 真宗西 仏堂方5間)

恭敬山(きょうけいざん)と号す。 京都興正寺に属せり。 いにしへは真言宗なりしを、慶申といふ僧、寛永2乙丑年(1625)、本山より寺号木仏を免許せられて門徒宗に改む。

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脚注

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