お寺めぐりの友看板

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茶臼山(ききゅうさん)清岩寺(せいがんじ)[清岩禅寺]★☆☆曹洞宗

歴史

伊藤氏メモ清岩寺は中世の山城岩切山古城のある茶臼山の山麓にある。三奈木小学校と道を隔てた向かい側に寺がある。ここの本尊が筑前33霊場31番札所の観音様である。清岩寺は三奈木黒田家の菩提寺で、檀家には今も家臣の子孫が多いという。

慶長5年(1600)に筑前に入府した黒田長政公は、黒田美作一成公に下座郡の大半と飛地を合わせ、1万2千石の知行地を与えた。 元和年間(1615-1624)、一成公は封地の三奈木に寺院を建立。福岡安国寺2世中興開山の天翁全補(てんのうぜんぽ)禅師の弟子松山用祝(しょうざんようしゅく)を開山に迎えて、この寺を創建した。 初めの寺地は下座郡屋形原村にあり椎寺山(すいじさん)清岩寺といったが、現在地に移転し、のちに山号を茶臼山に改めた。 一成公は寛永16年(1639)、寺の殿宇落成を祝し、この地での曹洞禅興隆を願って寺領を寄進している。

山門前の看板にもあるが、本堂前の不動堂に祀られる不動尊が九州36不動尊32番札所の本尊で、開運厄除・祈願成就の霊験あらたかでお参りの人が多いという。

清岩寺は天保3年(1832)以来毎日、時の鐘を撞いている。これは明治以後も続けられたが、太平洋戦争時代の昭和18年(1943)には鐘を供出して一時中止した。しかし、鐘を寄進してくれる人があり、昭和37年(1962)に再開。今も朝は5~6時、夕べは5~7時、季節により時間の差はあるが撞くという。(『筑前の寺めぐり 』より)()

参考:『筑前国続風土記拾遺』の記事

ひとくちメモ

清岩寺は、三奈木の茶臼山の西側斜面に伽藍を構えている。 県道509号線沿の参道口より長い石段を登ると石段途中不動堂、さらに登ると本堂域である。 本堂・庫裏は歴史を感じる木造建築である。

三奈木黒田家の祖、黒田一成の墓地は庫裏横の石段を登った所にある。 その途中に新免貫清の墓標もみられる。 (墓標写真参照のこと)

不動堂にある不動明王様とその両脇の矜羯羅童子(こんがらどうじ)制多迦童子(せいたかどうじ)は失礼ではあるが、かわいいお顔をされている。

本堂前に「聖(ひのき)」の石碑がある。 ”大本山総持寺境内之”の文字が読める。その後に檜がある。 総持寺から移植されたもののようである。

ここより、県道509号線沿に300mほど下った所には、三奈木黒田家の屋敷跡(旧三奈木黒田家庭園)がある。

ここから北方1km余りの所には寺内ダムがある。 ここからの三奈木の町並みの眺めもなかなかのものである。

山門脇には沖縄地方の魔除けの石敢当がなぜか置いてある。その脇の説明書によると、近年何者かが置いていったものであると言う。

墓標写真

旧三奈木黒田家庭園

寺内ダム

『筑前国続風土記拾遺』巻之23 下座郡 上 三奈木村の項

岩切山に在り。茶臼山と号す。禪宗福岡安國寺の末也。 堂後の山を茶臼山と云に因て山号とす。 境内に櫻木多くして尤佳境なり。 開山を天翁と云(安國寺3世也)。 元和年中(1615-1624)開基せり。

此村は國老黒田一成巳来の采地なるに因て彼家代々當寺に安置す。 睡鴎齋(一成法躰の時の号なり)の肖像あり。 横岳[1]江雲和尚[2]の讃あり。 又第3代無方(三左衛門一統の法号也)の画像も置り。 又一成の家士寛永15年(1638)島原の役に戦死せし新見團之亟[3](追号は傑心良英)が墓あり。 寺内に観音堂あり。國中卅三所の其一也。

黒田一成の事は黒田一成 - Wikipediaに詳しく記載されている。 それによると一成の墓は清岩寺と福岡市博多区の横岳山 崇福寺にもあるという。

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脚注

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