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鳴渡山南福院()音声寺(おんしょうじ)[音聲寺・鳴渡観音]★☆☆天台宗

歴史

伊藤氏メモ『日本歴史地名体系』によると音声寺は鳴渡観音堂ともいい、秋月藩の初代藩主黒田長興(くろだながおき)公が秋月種実公の重臣恵利内蔵助暢尭(えりくらのすけのぶたか)の忠節に感銘を受けて観音堂を建立したのが始まりである。堂前の小川の流れる水音が絶えず聞こえるので、鳴音から鳴渡観音になった。

建立当初は鳴渡山南福院という真言宗寺院、後に黒田長興公の祈願所日照院(野鳥村、現:朝倉市秋月野鳥)の末寺となり天台宗に転宗した。 現在は地元の有志と藩主の菩提寺古心寺(朝倉市秋月)が預かっておられて、ご朱印は古心寺と秋月公民館のどちらかでいただける。

恵利内蔵助暢尭とは、黒田公の筑前入府以前、ここが戦国武将秋月種実公の領地であった時代の秋月氏の家臣である。天正15年1587豊臣秀吉公が九州平定のため西下中のこと、島津方の秋月氏は恵利内蔵助に命じて秀吉軍の様子を探らせるために広島まで遣いさせ、秀吉公に面会させた。表面上は恵利内蔵助を歓待した秀吉公は土産の太刀などを持たせ、軍気華やかで盛んなること、装備の立派なことなど大いに見せつけて帰した。

帰国した恵利内蔵助は主君種実公にその旨を報告して和睦を勧めた。しかし、種実公は「お前は謀られたのだ」と怒り、また家臣や同僚も恵利は臆病風に吹かれたと嘲った。面目を失し、また忠心が入れられなかった内蔵助は怒りと落胆のあまり、大岩の上で妻子を殺し、自らも切腹した。

九州入りして筥崎に対陣した秀吉公に対し、秋月公は陣を構えたが、秀吉の大軍に包囲されて戦意を喪失し降伏した。秀吉公は3日間秋月に滞在して秋月氏の仕置きをするが、秘蔵の茶道具「楢柴肩衝(ならしばかたつき)の茶入」を献上したことで、秋月氏は滅亡を免れて日向高鍋に移封となり、秋月の地は小早川隆景公に与えられた。(『筑前の寺めぐり』より) ()

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

音声寺は、古心寺の境内より狭い道を少し登った小川の向こうにひっそりと伽藍を構えている。 そこに行く途中に"腹切り岩"がある。その隣には「長4間2尺横3間」の岩も現存している。(右上写真参照のこと)

"腹切り岩"脇の案内板(甘木市教育委員会 1979-12)によれば秋月氏の家臣の恵利暢尭はこの岩の上で、 妻子を刺し、その後自分が腹を掻き切って死んだように記述されているが、『筑前國続風土記』では、 腹を掻き切った石は本尊の観音様を刻んだ石であるとしている。"腹切り岩"の石とは無関係とみている。 どちらが正解なのか分からない。

また、同案内板によれば、「堂下に暢尭の墓と伝えられている一基の墓石がある」と記載されている。 本堂に向かって左手に墓石らしいものがある(下写真参照)がこれがその墓石なのかどうかは未確認である。

音声寺前の案内板によれば、寺前の道を暫く登ると一枚岩の花崗岩で作られたキリシタン橋など秋月氏ゆかりの遺跡がある。 大龍寺跡のページを参照のこと。

伊藤氏メモ本堂の周りの100体近くの御地蔵様たちは各々白くきれいな前掛けを掛けておられました。()

『筑前國続風土記』巻之10 ○秋月の項

音聲寺(真言宗) 鳴渡山南福院と號す。 古心寺(うしとら)[1]にあり。 石體の観音あり。むかしは少弐何某積憤(せきふん)有て、 この石に(しりうたけ)し、 腹を切りて死たりしが、死後に其怨を報じ、其敵を殺せしと云。

叉秋月種實の家臣に、惠利内蔵助[2]と云者あり。 本より武功もありしが、天正15年の春、秀吉公九州征伐せんとて、 下向しまたふよし風聞あり。 秋月種實は無二の島津方にて、偏に籠城の用意をせしかば、 先いつはりて秀吉に降参の使者を上せ、その軍勢をうかがひ、 敵の様を見るべしとて内蔵助を指遣しける。 内蔵助安芸国廣崎にて、秀吉公に行き合、 則陳所に伺候し、秋月種實が使のよしを申上る。 浅野弾正是をとり次、秀吉公聞たまひ、 内蔵助に対面有て、 秋月は島津と無二の一味たるよし其聞えあり。 島津合体の志を(ひるがえ)し、吾見方に参るべきとの使ひ尤もなり。 さあらば、筑前筑後両国を充つべし。 汝急ぎ(はせ)下て、此むねを秋月に申べしとの仰にて、 御腰物を下されける。 内蔵助急ぎ秋月に下り、種實に此由を申、(かつ)秀吉公の軍粧(さかん)なるあり様、 大群のいがめしき事を告て。降参致べしと申しければ、種實おおいにいかり、 汝は秀吉に謀られけるよな。 吾は島津と7代までの知音なれば、其義を変じいかでか秀吉には馬をつなぐべき。 いと片腹痛き哉とぞ笑ひける。 内蔵助此由を聞、秀吉公の勢ひ(てき)し難き由を、つぶさに語りければ、 種實及家臣等皆是を聞てあざけり、偏に内蔵助が臆病にて、かくはいふぞとわらひける。 内蔵助是を聞、以後に思知べき事ながら、 当時の面目を失ひける事をいきどほり、 此石に(こしかけ)て自殺せし石なれば、 心ある人は哀を催すべき事也。 され共これを観音として拝するは、理なき事なりし。

観音堂の前に小川の流れありて、常に水のなる音あれば、鳴音(なると)と名付け侍りしにや。 叉音聲寺の前に大石あり。長4間2尺7.8m、横3間5.4mあり。 其上まるく廣くして、山形に似て、さながら削りなせるが如し。  

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脚注

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