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興雲山() 古心寺(こしんじ) [古心禅寺] 臨済宗大徳寺派

歴史

境内の説明板の内容をほぼそのまま記す。

古心寺の由来

臨済宗大徳寺派古心寺は正保4年1649福岡藩主黒田長政公の三男 長興公が長政公の25年忌供養の為建立した黒田家菩提寺である。

明治4年の廃藩置県で黒田家の加護(石高50石)をはなれ経営が苦しくなって 規模の縮小を余儀なくされ本堂は甘木の光照寺、 山門は弥永の浄光寺に移されこのあとに長政公(長興公とも云う)の数奇屋をもって来たのが、 この度改築する迄の建物と云われている。 これも百余年の風雪と白蟻のために崩壊寸前となり改築の止むなきに至ったものである。 (以下略)

昭和46年6月吉日建之 住職

伊藤氏メモ秋月藩初代藩主、黒田長興公が父長政の菩提を弔うために建立した寺。 白壁の塀に囲まれた墓所には、長政をはじめ秋月黒田家の歴代藩主の墓がある。 また、境内の東入口側には、苦節13年日本最後の仇討ち臼井六郎の墓もある。()

参考:『筑前國続風土記

ひとくちメモ

古心寺は秋月の観光のメインストリートより少し奥まった高台に伽藍を構えている。

境内からは大凉寺を見下ろすことができる。また、古心寺が納経所となっている 音声寺もすぐ近くに伽藍を構えている。

本堂左手の広い敷地内には黒田長興以下秋月黒田家ゆかりの人々の立派な墓所がある。

『筑前國続風土記』巻之10 ○秋月

古心寺興雲山と號す。 秋月邑にあり。 臨済宗大徳寺派也。 正保4年1649の春、邑君長興、其先考長政公のために立らるる。 是よりさき長興、此寺建立の志ありて寺號を大徳寺江月和尚に請はる。 江月是を聞、長政公の追號を興雲院古心道と称しかば、それを用て 興雲山古心寺と名付らるべしといへり。この故江月示寂の後建立ありといへ共、 江月を開山とす。 長政公の仮墓木像あり。50石の寺産を寄附せらる。 長興歿後此寺に葬る。 則墓所位牌あり。

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