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龍光山() 円清寺(えんせいじ) [圓清禅寺] 曹洞宗

歴史11 phrases

境内の説明板の内容をほぼそのまま記す。

円清寺(龍光山)

黒田藩草創の重臣栗山備後利安[1]が主君黒田如水の死亡した慶長9年1604 その冥福を祈るために建立した寺であり如水の法号龍光院殿如水円清大居士からとって龍光山円清寺と名付けられたものです。 この寺には黒田如水・長政・備後の位牌が安置してあり如水・長政・備後の画像も寺宝として保存されています。

銅鐘(国指定重要文化財)大正元年指定

この銅鐘は、黒田長政が寄贈したもので 慶長5年1600の乱[2]に如水が日田郡渡り村、 吹揚山長福寺[3]より持ち帰り福岡に置かれていたもので 我が国に伝わった朝鮮鐘では最古の銘を有するものと同時代のものであり 見事で年代は新羅末期または高句麗初期[4]と言われています。

高さ66.9センチ、笠形39.9センチ、口径49センチ。撞座の両方に天人飛翔の図がある。 昔は干ばつが続くとこの鐘を持ち出して筑後川につける風習があり雨乞いのために何度も筑後川に沈められています。

杷木町観光協会 平成3年9月

伊藤氏メモ福萬醤油(福岡市天神3丁目)の白木家の祖は越前の朝倉義景で、 朝倉が織田信長に敗れた後、白木と名乗り、子の忠右衛門が備前福岡へ逃れて、 姫路の黒田氏の家臣栗山善助(利安)に仕えた。忠右衛門の嫡子甚右衛門が利安の娘を娶っている。 利安が上座郡1万8000石を領し、志波の麻氐良城主となると甚右衛門は志波に住んだ。 利安が没すると甚右衛門は殉死した。志波の円清寺には主従二人の墓が並んでいる。

しかし、二代栗山大善が黒田騒動で藩を追われ、孤児になった甚右衛門の嫡子太兵衛は親戚の楠屋で修行し、酒屋を開き、楠屋白木玄流と名乗った。

元禄13年1700、屋号を柏屋に変更し、黒田家御用達となった。文政4年1821、味噌・醤油醸造を始めた。 現在は販売のみとなっている(スプレー醤油や醤油ソムリエで知られている)。

福岡市大名1丁目のジョーキュウ醤油(楠屋醤油も販売)は親戚で、安政2年1855の創業。 博多の味を守る醤油だといわれ、多くの老舗割烹で使われている。

また、宗像市神湊のナカマル醤油(嘉永3年1850創業)も親戚筋にあたる。 (『福岡藩 (シリーズ藩物語) 』より)()

ひとくちメモ4 phrases

円清寺は朝倉の志波の里の柿の畑のある山の麓に伽藍を構えている。 この町には道のいたるところに石仏・石碑があり、住民の方々の信仰心の高さを感じた。 訪れたときは晩秋で境内の紅葉がみごとであった。

境内のカヤの木は幹は空洞となっており、かなりの樹齢である。 お寺関係者のお話では数百年は経っているとのこと。 余談ではあるが、カヤの木は碁盤・将棋盤をつくる材料であることも教えていただいた。

国指定の重文の鐘は本堂脇の鐘楼に収められており外からは残念ながら確認できなかった。 いつの日にか一度拝んでみたいものである。

円清寺を少し登った所に廣大山普門院がある。お見逃しなきよう。 作者おすすめのお寺である。

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