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甘木山(かんぼくさん) 安長寺(あんちょうじ) [安長禅寺] ★★ 臨済宗東福寺派

歴史

Linksのページによれば、創建は延喜年間901-923の末919頃、甘木遠江守安長によるという。 山号「甘木山」寺号「安長寺」はこの安長の氏名(うじな)及び名にちなんだものという。 正安年間1299-1301、博多承天寺の住職蔵山順空和尚(諡号は円鑑禅師)が現在の禅宗に改宗したという。 地名「甘木」も安長の氏名(うじな)をとったものという。

順空は、宋からの帰朝後佐賀県の高城寺を開山、その後博多承天寺に移り、この時期に甘木安長寺の住職を兼務。その後臨済宗の大本山東福寺の第6世となる。

境内の案内板の内容をこちらをご覧ください、

伊藤氏メモ今日、福岡県地域を代表する飴の生産地は甘木であり、福岡市の櫛田神社・筥崎宮をはじめとして全国の神社の七五三に用いられる千歳飴がここで作られている。 甘木における飴の生産は、江戸時代の中頃に安長寺の門前で大坪七之助という人物が三奈木産の黒砂糖を原料とする棒状の「地蔵飴」を売り出したことに始まるとされる。 しかし天正8年1580創業とされる甘木飴の老舗「三松堂(さんしょうどう)」(朝倉郡筑前町久松)には、 天正15年1587九州平定の途中に甘木の安長寺に立ち寄った豊臣秀吉に棒飴を献上したところ「甘き飴」との褒め言葉を賜ったとの伝承があり、現在でも飴の袋には安長寺境内のカンボクの葉の図案が用いられている。(『砂糖の通った道《菓子から見た社会史》 』より)()

ひとくちメモ

安長寺は、甘木の町中に伽藍を構えている。その周辺は歴史を感じるかなり大きな商店街のアーケードなどがある。 今回は駆け足でのお参りであったため周辺の町並を観光できなかったが、次回お参りのときはじっくり観察したい場所のひとつである。

大楠は見事。須賀神社 の大楠との男女関係はご当地の方々がロマンチストであったことが偲ばれる。

門前付近の写真はこちら。 バタバタ市の写真はこちら

歴史の項でも述べたが、1100年以上歴史のあるお寺である。 話題も盛りだくさんである。 下にキーワードのみ列挙する。それぞれのリンク文字をクリックするとLinksのページの説明の項にジャンプします。

伊藤氏メモお参りをさせていただきたくお願いしましたら、庫裏へ案内されました。元々本堂は大楠のあるあたりにあったが火災により焼失。 その後、長い間、本堂を再建することはなく、庫裏を本堂として現在にいたっているとのことでした。()

境内の案内板の内容

安長寺について由来

今より1000年有余年前、甘木遠江守安長と云える豪士ありて父を安道と云い、 矢田の金剛山寺[1]の地蔵を信仰せり。

安長幼時疱瘡(ほうそう)を患い命危ぶまれしが、 父安道は矢田に篭り祈願し霊夢を得て安長の病が癒えたのである。 安長が此の地に移り幼時の霊護に報いんと矢田(奈良県)の地蔵尊を迎え本尊として本堂に祀る。  

此の延命地蔵大菩薩創立由緒により疱瘡退散祈願の参詣者多く、 豆太鼓「バタバタ」の生まれたのは此の時である。 後に祖を祀る為の一伽藍を立てた。 開山は満慶上人(満米)である。 彼の氏を村にあて甘木村とし、名を寺にあて、甘木山安長寺と称えた。  

甘木市は、この安長寺の門前町から発展した町で久遠の計を恵まん為、 物品交易の市を開いた正月の初市に始まり、市の日が町名として二日町四日町七日町八日町等現在残っている。  

この安長寺と須賀神社の大楠は樹齢も古く須賀社の楠の芽立ちが青芽で男楠。 安長寺の方が赤芽で女楠に見立てられ、この二本の大楠は仲睦まじく、 昼は恥ずかしいので知らないふりをして夜ともなれば梢を伸ばして触れたり、 又、二本の楠を結ぶ役目を(ふくろう)が取り持つと云われ、 縁結びの楠とも言い伝えられています。  

祭礼 1月4日・5日(初市)バタバタ市  

甘木山安長禅寺 臨済宗
甘木市観光協会  

脚注

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