お寺めぐりの友看板

PC版
[更新]

霊場・散策コース» 放牛地蔵(ほうぎゅうじぞう)

放牛地蔵のリストです。

肥後国の僧放牛(?-享保17年)が享保7年(1722)から同17年(1732)にかけて作った石仏。 道路の分岐点とか、街角などに置かれ、市民から信仰され、よく保存されている。2021年2月現在で熊本市を中心に107体が確認されている。(放牛地蔵一覧より)

伊藤氏メモ稗田観音堂(105体目)に次のような説明文がある。()

約三百年前、細川綱利公のころ、城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子が住んでいました。正月四日孝行息子は商いに出たものの、無類の酒好きの父のために酒を買ってやれるだけの売上げが、その日はありませんでした。酒を楽しみに夕餉の支度をしていた父は、酒のないのを知ると手にもっていた火吹き竹を門に立っている息子に投げつけました。竹は息子には当たらず、折悪しく表を通りかかった武士の眉間を割ってしまったからたまりません。父はその場で無礼討ちにされ、父の非業の死を目の当りにした息子は、自分の不孝が父を殺したと嘆き、出家して「放牛」と名を改めました。

その後三十年間の修業の後、父のため福を祈って百体の石仏を祭ろうと発願し、享保7年(1722)から熊本市・鹿本・菊地・阿蘇・宇土・上益城・玉名一帯に十年間で百七体の石仏を建立して、その大願を達成しました。

通常は「放牛地蔵nn体目」と呼ばれる(nnは通し番号)。当サイトではシステム的な制限で「放牛地蔵第nn番」と表記します。

当ページでは当サイトに登録された尊像のみ掲載する。未掲載の分を含む放牛地蔵一覧をご覧ください。

放牛地蔵一覧:放牛地蔵 - Wikipedia

地図はこちら。 (参拝率:1/24(4.2%) )

並べ替え
Top