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分類» 背振千坊ゆかりのお寺

背振山東門寺を頂点とした背振山山岳信仰に関連したお寺のリストです。

背振山山頂脇の駐車場に設置してある案内板の内容を下に記す。

脊振山と山岳信仰遺跡

背振山は、上宮ヶ岳・弁財天岳・背布利山・茶降山・千振山・ソホル山などとも呼ばれていました。 古くより信仰の対象とされた山で、その名の起りについては様々な伝説が伝えられています。

玄界灘から見える最も高い山である背振山は、博多港に入港する船の目印となり、古くから信仰を集めていました。 遣唐使に随行した空海最澄円仁円珍、 平安時代に二度宋に渡った栄西など多くの人々が入山して航海の安全を祈願したと伝えられています。

背振山に関する史料としては『二本三代実録』貞観12年(870)の条に、筑前国正六位上背布利神が従五位下に昇叙された記事があり、その信仰の古さがうかがえます。 平安時代から鎌倉時代にかけては、英彦山や求菩提山などと共に北部九州における山岳仏教の一大拠点として栄え、 上宮の東門寺や中宮の霊仙寺、下宮の積翠寺(現在の修学院)を中心に、最盛期には「背振千坊・嶽万坊」と呼ばれ、九州一の大伽藍であったと伝えられています。 その範囲は背振山を取り巻く広大なもので、佐賀県側の肥前国だけでなく、福岡県側の筑前国も含んでいました。

上宮の東門寺は、現在は残っていませんが、山頂近くには修験道の開祖として信仰される「役行者」の石像が残っています。 また昭和61年に山頂の航空自衛隊基地内で土砂崩れが発生した際、銅製の経筒が発見されました。 発掘調査の結果、平安時代から中世にかけての経塚や火葬墓が多数発見され、当時の様子をうかがうことができます。

背振山山岳信仰遺跡は、まだ詳細な調査がおこなわれておらず、不明な点が多い状況ですが、山中には数多くの僧坊や修行場などの痕跡が分布していると考えられます。

神埼市教育委員会

下の一覧に挙げたお寺或いは寺跡は、過去に背振千防の一翼を担っていたと思われるお寺です。 時代の変遷によって現在の宗旨が天台宗でなくなっているものも多数あります。

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