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旧街道» 柳川往還

慶長6年(1601)筑後国の大名となった田中吉政は柳川城を中心として政治・軍事目的のため領内の交通網の整備をはかった。 別名「田中道」とも呼ばれる。

街道は柳川城から久留米城までの行程5里(約20km)、幅員2間ほど(3.6m)で、街道の両側には溝を堀り、土を街道中央に盛って作られた。(以上 矢ヶ部地蔵尊手前の案内板より)

井手橋門から保加(外)町口までの街道筋には、大名や役人に人足や馬を提供する問屋場などの施設があったといわれる。

柳川往還は県道23号線のルートと大部分重なっている。

当往還の全ルートは下のLinksの①②③のページの記事より作成した。 記事に記載されていない区間は作者が独自に補完している。 誤っている箇所もあるかも知れません。

柳川城下→矢加部町→金納村→下田町→金屋町→八丁牟田村→横溝町→大角町→土甲呂町→小犬塚村→上野町→安武町→津福町→久留米城下 (以上 Linksのページより)

ルート(概算距離:20098m)62

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