文禄・慶長の役の日本軍の大陸への出撃拠点は肥前名護屋であった。全国の諸大名はこの街道もしくは、 海路にて名護屋に着陣したと思われる。
名護屋城跡については拙ページ名護屋城跡を参照の事。
太閤道(唐津-名護屋)のルートについては、そのほとんどを 『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書) 』を参考にしている。 街道を実際に歩く際には携行されると良い。
浄泰寺は浄土宗の寺院で山号を清凉山と言う。
案内板によると初代唐津藩主寺沢志摩守の菩提所として天正2年(1574)に開創されたとある。
浄泰寺と近松寺との中程に名護屋口跡があり、この南側に町奉行所・番所などがあった。 ここより名護屋城に向かう太閤道がはじまる。
未踏査の為、未稿。
近松寺は臨済宗南禅寺派の寺院で山号を瑞鳳山と言う。
大乗寺は日蓮宗の寺院で山号を名護也山と言う。 加藤清正が文禄慶長の役(1592-1598)の時、名護屋の陣中に創建した寺院という。
街道はこの先右(北側)にカーブする。
未踏査の為、未稿。
未踏査の為、未稿。
元明寺は経塚山と号し、真言宗善通寺派の寺院である。
未踏査の為、未稿。
未踏査の為、未稿。
未踏査の為、未稿。
未踏査の為、未稿。
未踏査の為、未稿。
ここには右図の案内板がある。
当社の縁起などは不詳。分かり次第追記します。