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旧街道» 薩摩街道» 瀬高宿

下のみやま市歴史資料館のページによれば、瀬高は近世以来南九州へ通じる交通の要衝であったという。 柳河藩の物資集積の中枢として上庄(かみのしょう)を中心とした町屋が形成され、 商工業が著しく発展、かつては、鋳物・製瓦・和紙・製蝋等々藩内・近隣の需要を満たす諸職人の生産工房が軒を連ねていたという。

その後、柳川藩領の水陸交通の要衝として、上庄(かみのしょう)下庄(しものしょう)の町屋を中心に発展。 周辺村落は、肥沃で湿潤な耕地に恵まれ、比較的に安定した約70ヶ村(この内現瀬高町に属する村は約40ヶ村)が本郷・竹井・小川の大庄屋組に編成されて、穀倉地帯農村としての発展を遂げたという。

参考: 近世:常設展示室|みやま市歴史資料館  薩摩街道をゆく (②薩摩街道・みやま市編)  薩摩街道(豊前街道)を歩く

ここでは、瀬高宿から南関宿までのルートを記載する予定である。

ルート(概算距離:7955m)67

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