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旧街道» 長崎街道» 塚崎宿

塚崎(つかさき)は「墓崎」「柄崎」「武雄」とも書く。 『長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2)) 』によればこの地は先ずは温泉場として開かれたようである。 この地はその昔入江だったと考えられ、いたる所に古墳が散在していたという。(「墓崎」の由来)

時代が下ると「塚崎」→「柄崎」と書き換えられるようになったという。 「武雄」も古い地名で、この地をさしていたが、比較的狭い地域をさしていたようである。 「武雄」が一般的になったのは明治28年九州鉄道が開通したとき駅名を「柄崎」とせず、「武雄」としてからという。

湯治場は、唐から帰国した聖一国師龍造寺隆信文禄慶長の役に参陣し名護屋城に駐屯した兵士たちも利用したようである。

宿場内の案内板によれば、 本陣・殿様湯は現在の蓬莱門のすぐ内側(現在の武雄温泉)にあり、脇本陣は蓬莱門のすぐ外側(現在の湯元荘東洋館)、代官所はその向かいの春慶屋・エスポワール武雄の場所にあったという。

本陣跡の裏山は桜山がそびえる。宿場内には多数の仏教寺院がまるで本陣を取り囲むように存在する。 この桜山は宿場内のどの位置からも見える。絶好の目印である。

なお武雄温泉のシンボルとなっている蓬莱門は大正期の建築で東京駅なども設計した辰野金吾の設計によるものである。

ここでは、塚崎宿から、次の嬉野宿の前までのルートについて記載する。

ルート(概算距離:12157m)56

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