お寺めぐりの友

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「佐賀」の地名の由来は『長崎街道 肥前佐賀路』に掲載されている。その文を引用する。

『肥前風土記』の(くす)の栄え説、 つまり、クスノキが茂り栄える「栄の国」が転用されて佐嘉になったという説が一般化されている。

「佐嘉」が「佐賀」に統一されたのは明治2年1869のことで、それ以前は「佐嘉」の文字が多く用いられていた。

奈良時代、風土記が成立した8世紀には、すでに佐嘉の地名があった。 そのころの肥前国府は、佐賀市街から北数キロにある佐賀郡大和町の久池井にあった。 この一帯には『日本書紀』に見える■[1]姫神社(河上神社) [2]をはじめ、国分寺、国分尼寺なども建てられ、 当時はここが肥前国の中心・佐賀であった。

佐賀城下の街道を歩くときには、街道沿いの側溝には右の写真のような蓋がほぼ全ルートに設置してあり、散策する人には親切である。 また、追分石を模した道標も要所要所に設置されておりこれも親切である。道標は近年に作成されたものである。

ルート(概算距離:11300m)75

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