お寺めぐりの友

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旧街道» 長崎街道» 北方宿

ここでは焼米追分の先から当北方宿を通り、塚崎宿の手前迄のルートを掲載する。

長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))によれば、宿場内には、本陣・駕籠立場・高札場など基本的な宿駅機能を全て有していた。他に、多久領米蔵・脇本陣もあったという。

当宿場は直角に曲がった構造をしており、曲がり角には唐津街道との追分がある。

北方宿→塚崎宿嬉野宿のルートは「塚崎道」とよばれ、享保4年1719以降に開発された街道という。 それ以前は、焼米追分で分岐する「鹿島道(浜通り)」が利用されていたという。

ルート(概算距離:7837m)45

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