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旧街道» 唐津街道_佐賀長崎路» 伊万里いまり(旧:肥前国松浦郡伊万里村 現:佐賀県伊万里市)

概要

「伊万里」の地名の由来は、紀飯麻呂(きのいいまろ)の伝説と条里制のふたつの説があるが、どちらも確証はないという[1]。 中世以前の当地の状況については、作者はよくわからない。 以下に作者がわかる断片的な事実関係のみ列挙する。

伊万里焼は、有田(佐賀県有田町)を中心とする肥前国(現代の佐賀県および長崎県)で生産された磁器の総称。 製品の主な積み出し港が伊万里であったことから、消費地では「伊万里焼」と呼ばれた。 有田の製品のほか、三川内焼波佐見焼なども含む。 佐賀藩(鍋島藩)の藩祖鍋島直茂が豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592-1598)に参加したことをきっかけに、朝鮮から多くの陶工が拉致・亡命などにより佐賀へ渡った。これらの陶工によって有田における磁器製造が開始された。[3]

近世以降の伊万里はこの「伊万里焼」の流通拠点として発展したものと思われる。

伊万里より徳須恵の手前までのルートについて記載する予定である。

経路

ルート(概算距離:16662m)99

脚注

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