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旧街道» 唐津街道» 若松宿わかまつ

ここでは若松宿より芦屋宿に至る街道を記載する。

筑前國続風土記』巻之15 遠賀郡下に下記のような記述がある。

○若松

町あり。民家多し、(これ)當國東北の端に在て、豊前長門(およそ)上方への渡口なり。 むかしは修多羅(すたら)の枝村なりしが、長政公入國の後、別村となる。 宗祇が筑紫紀行に(いわく)、「うつりて行て筑前國若松の浦といふにつきぬ。 則此所をしる人麻生の何某兄弟、ある寺にむかへとりぬ。 かた山かけてうへ木たかきかげあり。内外の海を見るに、芦屋のけぶり、 くれわたる入日影に移ろうほど、又いふかたなし。 此二人は将軍家の奉公の人に侍れば、都の物語こまやかにして、いろいろのさかなもとめ出たるほど、こよろぎのいそがはしさも思ひやらる。 さかづきさかななり、さし更る月のひかりも思ひやらる。 さかづきさかななり、さし更る月のひかりもただばらず。 今宵は十三夜なれば、発句
名やおもふ今宵しぐれぬ秋の月」

この時宗祇が宿せし寺は正法寺といふ禅寺なり。 今は廃してなし。長政公入国の後、此所に飛船數十艘をつなぎ、舟司舟人等多く置て、 急用に備へらる。 これは芦屋洋は風あらき時は、舟の往来成がたき故、此所より使の人を舟にのせて、 大阪に遣すべき為なり。

ルート(概算距離:16967m)90

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