お寺めぐりの友

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日田街道の終点永山布政所は現在は、住宅地となっており、その地割などを確認することはできない。 その北側には月隈神社が鎮座する。 下に、月隈神社境内にある案内板の内容を引用する。

豆田町は慶長6年1601から9年にかけて、小川壱岐守光氏が月隈山に丸山城を築いた際、 友田村から民家を移して城下町をつくったのに始まる。 初め丸山町と云ったが、元和年間1615-1624町づくりを継続した石川忠総のとき豆田町と改められた。 整然とした屋敷割と旧街路名は、初めからのものである。

ある時期を除いて、日田が幕府直轄の天領となるのは、両小川氏が代官となった寛永16年1639からである。 明和4年1767揖斐十太夫が、代官から昇格し西国筋郡代となって以降は、 はじめ代官として着任しても後には郡代に昇格している。 また最初から郡代として着任した者もある。 代官・郡代の権威と結びついて、大名の御用達や、公金の出納を担当した掛屋になった商人が台頭した。

この掛屋の中で、草野家、手島家、千原家、広瀬家などは豆田街に居を構えた。 中でも広瀬淡窓の生家である、広瀬家で、初め掛屋となった久兵衛の土木事業や府内藩の財政改革などの活躍は、 広く知られている。

町人の町として繁栄した豆田町も、明和9年1772の大火、明治13年の平野町-八幡町の大火によって、 大きな被害を受けた。 それらの災禍を乗り越えて、再興された街並みが、今日残っている街並の基礎をなしている。

豆田町の街並の特徴は、江戸時代初期の町割が、ほぼ完全に残っていること、 江戸時代から現在までの各時代の特徴を持つ家が、混在していることである。

昭和61年3月 大分県日田市

ルート(概算距離: 0m)1

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