お寺めぐりの友

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旧街道» 日田街道福岡城路» 甘木宿

ここでは、甘木宿から次の比良松宿直前までのルートを記載する。 甘木山安長禅寺物語によれば、 延喜年間901-923安長禅寺を創建した甘木遠江守安長氏名(うじな)にちなんだものという。

筑前國続風土記』巻之10 夜須郡 ○甘木町の項によれば、「國中にて、民家多き事、早良郡姪濱につげり。」という。 また、博多-甘木間の街道については、「凡博多より甘木の間、人馬の往来常にたえず。 東海道の外、此道のごとく人馬の往来多きはなしといへり。信濃路、播磨路などは、中々是に及ばず。」とある。 すごい繁栄ぶりだったようである。 『筑前國続風土記拾遺』巻之19 夜須郡 上の項に当時の繁栄ぶりが事細かく記載されている。 少し長いが下に引用する。

甘木村

町廣く人家多し。 凡町数15町にて東西の別有。 横内町博多口 河原町 二日町 山領町 後町秋月口 高原町 庄屋町筑後口 四日町 上新町以上9町を西町と称す。 下新町 四重町 七日町又秋月口 八日町 水町上座口 馬場町下座口以上6町を東町といふ。 民戸775軒人口3420人有。是文政の初年1818に計ふる所也。

宿驛にて両筑肥豊6ケ國の要衝なれは商買多く會集し山海の物品を交易す。 その繁花なること博多につけり。 昔は毎年9度市立しか、 いつの比よりか其事絶て今は町の名のミ残れり。 詳に本編に出。

村の東南は下座郡来春村に、一本村に隣れり。 産神は(いや)永村秋月領大神大明神也。

本村龍泉池の傍に和田仁左衛と云者居住して國君日用の色奉書杉原其外種々の紙を作り出す。 正保承應1645-1654の比より始りしといふ。 龍泉池ハ四時共に水湧出て甚清洌也。 此水を用ひて紙を製する故にや其色極て鮮白なり。

又瓦工3戸 素焼物師6戸 紋染工9戸 藥肆7戸外に製茶店6戸 酒屋10戸 木綿晒屋8戸 醤油屋25戸 蒟蒻屋5戸 寒具屋 饅頭屋なと有て皆地方に勝れたり。 此外烟草 紅花 砂糖等ハ村中にも作り、 又當郡及上座、下座に産するを此駅に集めて諸方に販く。 其外尋常の工商あまたあれといたつかはしけれハもらしつ。

ルート(概算距離:8249m)32

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