太閤水(たいこうすい)[福津市八並(ふくつしやつなみ)]

  • 太閤水の井戸
    太閤水の井戸 

場所

福岡県福津市八並  MAP

歴史

現地の案内板の内容をそのまま記す。

天正151587年豊臣秀吉は、島津制圧のため軍勢と共に小倉に入城し、25万の軍を二つに分け、 自らは筑前(ちくぜん)から肥後路(ひごじ)へと南下した。黒崎、赤間を過ぎ 山の口峠(八並(やなみ))を越えたところで秀吉は大休止を命じ水を求めた。 千利休(せんのりきゅう)が土地の老人の案内で清く冷たい水を得て、 この水で喉を潤した秀吉は大変おいしかったと見え、「この水の味、京に戻っても決してわすれるな」 と言ったといわれている。

秀吉は5月には九州平定を完了し、筥崎(はこざき)宮に本陣を置いて約1ヶ月滞在した。 この間に国割(くにわり),町割(まちわり),禁教令(きんきょうれい)などを 施行、茶会、連歌会を催したりして、7月に箱崎を出立して帰路についた。 おりからの炎暑の中、再び山の口峠にさしかかる前に馬を休め、この水で喉を潤し大変 喜んだと伝えられている。以来この清水を「太閤水」と呼ぶようになったという。

藩政時代は人馬も往来が多く、旅人たちはこの水で喉を潤して峠を越えたのであろう。 太閤水は他にも、若松区・宗像(むなかた)市・新宮(しんぐう)町・福岡市西区・ 二丈町(にじょうまち)鎮西(ちんぜい)町にも残っている。 (文:平成11年度 福間(ふくま)町公民館主催講座 ふるさと再発見教室)

参考文献:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

唐津街道 を探索中に偶然発見した。畦町(あぜまち)宿-大穂間の農家の畑がある旧唐津街道の脇にひっそりとしてあった。 井戸の石は新しく、最近改装されたもののようである。

写真

  • 太閤水 - 道路の反対側より撮影
    太閤水 - 道路の反対側より撮影 

筑前國続風土記拾遺』巻之下37 宗像郡 中 八並(やつなみ)村の項

普恩寺付太閤水

金魚山と号す。 禅宗洞家大穂村宗生寺末也。 慶長年中1596-1615桂空と云僧大穂の出口に建立せしを、 延享元年1744戒供と云僧當村龍谷庵の地に移す。 本尊ハ地蔵仏也。

寺内に清泉有。太閤水と云。 秀吉公下向し給ひし時、茶の湯に汲給へる水と云。 因て此名あり。

太閤水のある所はわずか数件の集落である。このうちのどれかがその普恩寺ではないかと作者は思っている。 これは未確認である。 機会があれば、この集落の方にうかがってみたいものである。