筑前國歴史年表  CHRONOLOGY OF CHIKUZEN

主に筑前國の歴史年表を掲示します。思いつくまま追加してゆきます。永遠に完成しません。 物好きでやっているもので年号・事実の誤りなどがある場合もございます。ご指摘いただければ訂正します。

当ページは作者のメモ替わりに作成中のもので、文章の不統一など伊藤氏より多数指摘を受けています。 修正の時間が取れていません。()

西暦和暦記事(筑前)記事(全国)
bc565頃釈迦誕生
bc478頃釈迦入滅
527継体朝(伝)21年,筑紫の国の国造磐井の反乱。翌年鎮定。
538宣下3仏教伝来
596推古4蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を建立。
664天智3対馬、壱岐、筑紫に防人、烽火を置く。筑紫に大堤を築き水を貯えさせた。水城(みずき)という。
665天智4太宰府に大野山城、肥前に基肄城(きいじょう)が構築される。
668文武2 京都妙心寺の鐘(国宝)できる。観世音寺の鐘(国宝)もこのころ鋳造か。 行基、現在の大阪府堺市にて出生。
688持統2真新羅使を筑紫(後の鴻臚館)でもてなす。
710和銅3平城京遷都
718養老23月(伝)行基、筑前国糟屋郡筵内(むしろうち)東光山医王寺創建か。
746天平18太宰府観世音寺創建。
749天智天皇7行基寂。
752天平勝宝4東大寺大仏開眼
754天平勝宝6鑑真来朝
757天平宝字1このころ櫛田神社創建
767天平神護1最澄(伝教大師)出生
774宝亀5空海(弘法大師)出生
794宝暦13平安京遷都
805宝暦24最澄、天台宗を開宗
806大同1空海、東長寺を建立。空海、真言宗を開宗
822弘仁13最澄寂
835承和2空海寂
901延喜1右大臣菅原道真、左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)により太宰府に左遷された。左遷後は太宰権師(だざいごんのそつ)
903延喜3空也出生
942天慶5源信(恵心僧都(えしんそうず))出生
972天禄3空也寂
1017寛仁1源信寂
1019寛仁3刀伊の入寇(といのにゅうこう)。 中国沿海州地方の女真人が、突如50隻の舟で対馬・壱岐を襲い、さらに筑前国恰土(いと)郡を侵略した事件。 太宰権師(だざいごんのそつ)藤原隆家が北九州の武士と奮闘し撃退。
1179治承3 このころ、博多どんたくの起源、博多松ばやしが始まった。
1122長承2法然出生
1141永治1栄西出生
1157保元2平清盛が袖の湊を構築(伝承)
1168仁安3 4月栄西一回目の入宋。 9月重源とともに帰国
1173承安3親鸞出生。
1175承安5栄西、誓願寺を建立法然、浄土宗を開宗
1187文治34月栄西2回目の入宋。
1191建久27月栄西帰国。平戸葦ノ浦に着く。千光寺を開山。当時は現在の地より海よりで"富春庵"という名であったが後に改名。
臨済宗を開宗
1195建久6栄西,聖福寺を建立
1200正治2道元出生
1202建仁2栄西,源頼家の外護により京都に建仁寺を建立
1212建暦2法然寂
1215建保3栄西寂
1222貞応1日蓮出生
1224元仁1親鸞、浄土真宗を開宗
1227嘉禄3道元、帰朝
1239延応1一遍出生
1241仁治2このころ、博多祇園山笠が始まった。
1242仁治3承天寺、 大宰少弐武藤資頼が円爾(弁円)を招聘して創建。創建にあたっては謝国明ら宋商人が多く援助した
1244 寛元2道元、永平寺を創建
1253建長5日蓮、日蓮宗を開宗。
道元寂
1262弘長2親鸞寂。
1274文永11[文永の役]10月元は軍船900艚、兵員28,000にて対馬・壱岐を攻め、10月19日は今津に姿を現す。 翌21日、今津や百道より上陸。麁原(そはら)山に陣を構えた元・高麗軍は、麁原・鳥飼・赤坂・箱崎で日本軍と激戦を繰り広げる。 日本軍は水城まで退去し、博多の町は大きな被害を受ける。ところが台風が一過一夜明けた朝もやの中には元軍の姿はなかった。
1275文永11一遍、時宗を開宗。
1281弘安4[弘安の役]元は1279年に南宋を滅ぼし、再度日本遠征のために江南に兵船600艘を、高麗に900艘の修造を命じ、 招諭使(しょうゆし)として宋の周福を派遣してきた。幕府は鎮西奉行に命じ周福を博多で斬らせた。 1281年朝鮮合浦(かっぽ)を出発した4万の東路軍は、対馬・壱岐を侵して6月6日に博多に迫ったが、 日本軍の小舟による攻撃、石築地(防塁(ぼうるい))による逆襲にあって上陸は阻止された、鷹島に退く。 約2ヶ月遅れて南宋人10万の江南軍は、東路軍と合同で博多湾をめざしたが、夜間暴風雨にあい遠征軍は壊滅した。 残ったのは200艘・兵員3万人。捕虜2000人と言われている。
1282弘安5日蓮寂
1289正応2一遍寂
1336建武3年 3月。宗像大宮司は尊氏主従に軍備を整えさせ援護し香椎の多々良浜で、熊本の 菊池軍を奇跡的に破り勢いを盛り返した尊氏が室町幕府を開く。
1338暦応1足利尊氏、室町幕府を開く
1394明徳5一休宗純出生
1415応永22蓮如出生
1429永享1尚巴志(しょうはし)が琉球を統一。琉球王国は明に朝貢して王に任命してもらう冊封体制に入る。
1481文明13一休宗純寂
1488長享2加賀一向一揆
1499明応8蓮如寂
1549天文18キリスト教伝来
1569永禄2博多の大半が兵火で消失
1571元亀2信長、延暦寺を焼き討ち
1586天正14 8月。島津義久軍、秀吉の先手が豊前に到着の報を聞き、博多に兵を退き博多を焼き払い薩摩に引き揚げる。
1587天正15[太閤町割]春。秀吉、島津義久討伐。
秀吉、筥崎に陣をかまえ、廃墟と化した博多復興にとりかかる。
1592文禄1隠元、中国福建省にて出生
1600慶長5黒田長政が関ヶ原の功績により筑前の太守として入部し、名島城に入る。途中飯塚の太養院に立ち寄る。長政は井上周防守に16000石を与え黒崎城を預ける。関ヶ原の戦い
1601慶長6黒田如水・長政親子が福崎に福岡城築城開始。
1603慶長8家康、江戸幕府を開く
1607慶長12福岡城竣工。
1609慶長14琉球王朝は薩摩藩の侵攻を受けその支配下に入る。但し、朝貢も継続。
1612慶長17幕府直轄領のキリスト信教禁止
1615慶長20徳川秀忠が一国一城令を発す
本山末寺制度制定
1631寛永8真寺建立禁止
1635寛永12寺社奉行設置
1637寛永14島原の乱
1666寛文6日蓮宗不受不施派禁教
1667寛文7「悲劇の豪商」と呼ばれる伊藤小左衛門吉直磔の刑執行される。また、一族もともに処刑された。
1671寛文11宗門人別改帳、寺請制度の整備により幕府の宗教制度確立
1673寛文13隠元寂
1688元禄1貝原益軒 『筑前國続風土記』編纂開始。
1703元禄16貝原益軒 『筑前國続風土記』完成。
1732享保17享保の大飢饉。顕乗寺参照。
1750寛永3仙厓義梵出生。
1784天明4志賀島で金印発見
1793寛政5加藤一純 『筑前國続風土記付録』完成。
1814文化11青柳種信 『筑前國続風土記拾遺』編纂開始。
1821文政4『筑前名所図会』博多中島町の醤油醸造業の家に生まれた奥村玉蘭によってつくられる。
1835天保6年青柳種信没。 『筑前國続風土記拾遺』長男の長野種正、その後次男の種春が中心になって編集作業が続く。
1837天保8仙厓義梵寂。
1868慶應4神仏判然令。廃仏毀釈はじまる
1871明治4廃藩置県により福岡藩から福岡県に
1872明治5僧侶に「肉食妻帯畜髪勝手たるべし」太政官布告。寺院の女人禁制撤廃
1873明治6尼僧にも肉食妻帯畜髪を許可。
キリスト教解禁
1889明治22博多駅完成(現在の出来町公園付近)
1894明治27日清戦争勃発
1904明治37日露戦争勃発
各仏教教団、満州、朝鮮半島、台湾などで布教活動強化
1914大正3第一次世界大戦中勃発
1924大正13九州鉄道(現西鉄大牟田線)が開業
1925大正14福岡市内最初のデパート、玉屋百貨店が誕生
1931昭和6満州事変
1937昭和12日中戦争勃発
1941昭和16各宗派、戦闘機などの献上があいつぐ
1945昭和20福岡大空襲。6月19日から翌6月20日までアメリカ軍により行われた空襲。 福岡県福岡市の市街地を標的にした。これにより1000人以上が死亡・行方不明となった。 市内の寺院も壊滅状態となる。
詳細はWikipedia 福岡大空襲 を参照のこと。
1945昭和208月8日午前8時15分広島に原爆投下。人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
1945昭和208月9日午前11時02分長崎に原爆投下。長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物の約36%が全焼または全半壊した。
1945昭和208月15日昭和天皇の玉音放送。終戦。
宗教法人令交付
1963昭和38博多駅が現在の場所に移転
1961昭和36所得倍増計画発表
1973昭和48オイルショック
1975昭和50山陽新幹線は博多まで開通
1981昭和56福岡市営地下鉄部分開業(室見-天神)
1990平成2バブル崩壊
真宗大谷派が戦争責任を認める
2011平成23九州新幹線全線開業