宰府道(太宰府天満宮参詣道)
概要
ここでは、主に近世に於ける旧筑前国を通っていた街道から、太宰府天満宮への参詣道について述べる。
作者が旧筑前国内のお寺・街道をまわっている途中、あるい、そのお寺・街道の歴史を調べている中で目にとまった参詣道について述べている。
以下、出稿中です。
太宰府の歴史概観
宰府の町は、平安時代、菅原道真の墓所の上に太宰府天満宮(安楽寺)が創建された後、天満宮の発展とともに形成されてきた。
天満宮及び周辺は天正11年(1583)秋月勢による兵火によって一時灰燼に帰したが、天正19年(1591)小早川隆景により本殿が再興された。慶長6年(1601)筑前に入府した黒田官兵衛の隠居所が天満宮境内に置かれ、慶長8、9年頃、大鳥居家に下賜された。(『街道と宿場町 』より)
江戸期になると、宰府宿は筑前二十七宿のひとつとされ、大町地区を中心に旅籠が建ち並び、天満宮を参拝する「さいふまいり」の人々で賑わったようだ。
宰府宿には次の4つの構口があった。高橋口(日田街道から)・五条口(阿志岐方面から)・溝尻口・山上口(三条口、粕屋方面から)である。宿場内には御茶屋は存在せず、長崎警護の為、黒田藩主が立ち寄った際は天満宮宮司宅(延寿王院)が利用された。(『街道と宿場町 』より)
参照:[404]歴史の道・コースNo.13 太宰府の隠れた伝説と伝承を尋ねて(東前半) : NPO法人歩かんね太宰府
それぞれの参詣道については以下のページをご覧ください。