山鹿宿(旧: 現:熊本県山鹿市)
概要
山鹿宿の成立過程については、作者は詳しいことはわからない。 ここでは断片的だが史実と思われるものを時代順に列挙するに留める。
- 火除け地蔵尊は今から1000年の昔(西暦1000年代)、上市に舞鶴山像成寺(真言律宗)があったとき、ここに惣門があり、門の脇に地蔵尊が祀られていたので「地蔵口」と呼ばれていた。その後、寺域は城となり山鹿城(上市城)と呼ばれ、菊池氏一族の山鹿氏が代々居城し、天正16年(1588)5月、城主山鹿彦次郎重安が亡ぶまで続いた。
- 金剛乗寺が元弘元年(1331)、権中僧正(恵鏡法印)により再興される。
- 薬師如来堂、文明5年(1473)3月突然、温泉が涸れ、金剛乗寺第8世宥明法印が温泉復活の祈願の為に建てたもの。
- 細川忠利が寛永17年(1640)この地に御茶屋を新築した。
御茶屋・札の辻はさくら湯(薬師如来堂参照)の場所にあった。 現在も宿場全体は古い町並みがよく整備されている。
ここでは、山鹿宿から味取新町宿までのルートを記載する。
宿場の南側の出入り口は山鹿惣門跡と思われるが、北側の出入り口(番所・構口等の位置)がはっきりしない。 ここでは、八千代座が北側の出入り口と仮定して話を進める。
経路
八千代座 標高: 31.3m MAP 4km以内の寺社検索
明治43年(1910)に建設された芝居小屋。重要文化財。
詳しくは公式HPをご覧ください。
金剛乗寺 標高: 26.4m MAP 4km以内の寺社検索
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金剛乗寺は護國密山佛性院と号し、高野山真言宗の寺院である。
薬師如来堂 標高: 22.8m MAP 4km以内の寺社検索
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文明5年(1473)3月突然、温泉が涸れ、金剛乗寺第8世宥明法印が温泉復活の祈願の為に建てたもの。
「山鹿湯町絵図」を見れば、当薬師堂・御前湯(殿様の風呂場?)・高札場もこの地にあったことがわかる。 薬師堂に隣接している、さくら湯は御茶屋の跡地に建てられたもののようだ。
当薬師堂の山門の棟札に「御成門建・・・嘉永壬子 六月」と記されている。 当薬師堂の山門は御茶屋の門だったのかも知れない。 ここで「嘉永壬子」とは嘉永5年(1852)のこと。
詳しくは薬師如来堂参照のこと。
火除け地蔵尊 標高: 22.8m MAP 4km以内の寺社検索
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火除け地蔵尊は西暦1000年ころ、ここに伽藍を構えていた舞鶴山像成寺(真言律宗)の惣門脇に祀られていたもの。
その後、寺域は城となり山鹿城(上市城)と呼ばれ、菊池氏一族の山鹿氏が代々居城し、天正16年(1588)5月、城主山鹿彦次郎重安が亡ぶまで続いた。
当地蔵尊は、弘化3年(1846)1月の大火、昭和46年(1971)8月の大火にも難を逃れた。 (地蔵堂脇の案内板(下町区 平成11年(1999))より)
光専寺 標高: 21.8m MAP 4km以内の寺社検索
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光専寺は 清瀧山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。
山鹿惣門跡 標高: 21.2m MAP 4km以内の寺社検索
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この地が山鹿宿の西側の出入り口だったのだろう。
陶板製の案内板に掲示された「古図菊池川全図」(安政2年(1855))により、ここより菊池川の対岸まで、橋が架けられていたことがわかる。
この付近には良く保存された商家の町並みを観ることが出来る。
六里木跡 標高: 18.8m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
南嶋菅原神社 標高: 19.4m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
郡境石 標高: 23.9m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
うらやま坂 標高: 35.4m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
郷原八幡宮 標高: 66.2m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
比丘尼坂 標高: 72.1m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
櫨並木 標高: 74.8m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
五里木跡 標高: 78.8m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
徳栄寺・明蓮寺 標高: 79.4m MAP 4km以内の寺社検索
善行寺 標高: 78.7m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
乙貝坂道標 標高: 81.5m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
乙貝坂 標高: 59.0m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
三十六のお茶屋跡 標高: 92.6m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
西圓寺 標高: 88.2m MAP 4km以内の寺社検索
西圓寺は浄土真宗本願寺派の寺院である。
瑞泉寺(味取観音) 標高:100.8m MAP 4km以内の寺社検索
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瑞泉寺は曹洞宗の寺院である。
当寺は種田山頭火(1882-1940)が1年2ヶ月堂守として滞在した場所である。
街道の脇に案内板がある。そのまま引用する。
「味取町」について
来民往来の分岐点。豊前街道沿い加茂坂を登りつめにあり、豊富な湧水もあってかなり以前より集落が形成されたものと思われる。
寛永9年(1632)内村内に味取町が設けられ、在町として栄えた。 町名の起源を"荷取"とも、和名抄の"三重郷"等に由来するとも伝える。
参勤交代の際の茶屋が豪商松屋(堀家)に置かれた。 往時には150戸の民家を数え、上、西松屋、富七屋、砥石屋といった商家が軒を並べたと云う。
元禄年間(1688-1704)に当街から植木町(味取新町)に別れた。 明治18年(1885)、新道(福岡往還)の開通と共に往時のにぎわいを失っていった。
昭和63年(1988)9月1日 植木町教育委員会
光勝寺 標高: 94.6m MAP 4km以内の寺社検索
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光勝寺は日生山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。