石櫃追分(旧:筑前国夜須郡石櫃村 現:福岡県朝倉郡筑前町石櫃)
概要
『筑前國続風土記拾遺』巻之19 夜須郡 上 石櫃村の項に下記の記事がみられる。
石櫃村
民居は2處に分かる。 本村及新屋是也。 中牟田の枝郷也。 中牟田は秋月領にて人家ハ石櫃の新屋につゝけり。 甘木往還なり。 此町の東の端より南に折て筑後國松崎に行官道有。 村の名義本編に詳なり。
ここでは、石櫃追分から松崎宿までルートを辿る。
経路
石櫃追分 標高: 32.7m MAP 4km以内の寺社検索
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北面に「左 豊後 秋月 日田 甘木道」、 西面に「右 肥後薩摩道」。 追分石は、風雪にさらされて痛みが激しい。
案内板によれば、石櫃は、当時は山家宿の下宿として賑わい、 この追分石は山家宿の問屋、武作が世話人となって建てたという。
水神社 標高: 23.5m MAP 4km以内の寺社検索
未稿
国境石 標高: 23.0m MAP 4km以内の寺社検索
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「従是北筑後國」「従是南筑後國」。
国境石裏手の痛みの激しい案内板((平成16年3月武蔵野市教育委員会・小郡市教育委員会))によれば、最初は木杭であったが、 18世紀中頃に小型の石柱にかわり、19世紀中頃までに現在のものに建て替えられたという。 花崗岩製。
筑後国境石筆者:久留米藩士、佐田周平(1793-1865)。 筑後国境石筆者:福岡藩書家、二川相近(1767-1836)。
当時の地名は北側は筑前国夜須郡西小田村、南側が筑後国乙隈村。 現在の地名はそれぞれ筑紫野市西小田、小郡市乙隈。 当時は国境であったが、現在は市境となっている。
現在、国境石の向い(筑前側)には榎木の大木がある。 『薩摩街道文化財マップ』(小郡市埋蔵文化センター)によれば、筑後側には松が植えられていたという。
干潟の一里塚跡の碑 標高: 22.2m MAP 4km以内の寺社検索
未稿
霊鷲寺 標高: 18.9m MAP 4km以内の寺社検索
霊鷲寺は瑞松山と号し、臨済宗南禅寺派の寺院である。 街道はこの三叉路を左に進む。
秋月街道との追分 標高: 19.2m MAP 4km以内の寺社検索
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街道はここで国道500号線と交差する。 ここで、秋月街道(国道500号線を南下)と薩摩街道が合流して、 松崎宿北構口に至る。