日奈久宿ひなぐ(旧: 現:熊本県八代市)

概要

浜田六郎左衛門の石像
浜田六郎左衛門の石像 

Wikipediaによれば、 応永16年(1409)、刀傷を負った父(甲斐重村の家臣だった浜田右近)の平癒を祈願した浜田六郎左衛門が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のお告げにより干潟から湯を掘り当てた伝説が残る。 六郎左衛門が掘ったとされる湯元には、記念碑が建っている。

天文9年(1540)龍造寺氏、天正14年(1586)上井覚兼が、それぞれ湯治した記録が残っている。 江戸時代には熊本藩細川氏藩営温泉となった。 藩主・細川綱利の命によって大浴場が設けられ、身分に応じて入浴が許可された。 八代城主・松井氏や参勤交代途上の島津氏もよく利用したという。

六郎が掘ったとされる湯元は、今の日奈久温泉センターの敷地内にあり、「温泉発祥の地」の記念碑と石像が建てられている。 浜田六郎左衛門の出自については、日奈久温泉の由来 八代市 - 熊本県庁をご覧ください。

薩摩街道の南側の山側に、秀吉が10万の軍勢を率いて薩摩討伐に向かった「太閤越えの道」が残っている。 右の地図をご覧ください(道のコースは日奈久温泉駅に掲示されている「日奈久温泉ご案内」のボードを参考にした。地図中の紫色のコース。緑色は薩摩街道)。

日奈久温泉の名誉の為に書き添えると、作者が当宿場街を踏査したのは2017-10-10(火曜日)。 しかも早朝であった。平日である。 写真に人気(ひとけ)が無いのはそのためである。 前日(10月9日、体育の日)には、観光客で大変な賑わいであった。

ここでは、日奈久宿から佐敷宿までのルートを記載する予定である。

経路

東木戸口 標高: 7.7m MAP 4km以内の寺社検索

東木戸口 - 宿場内に向かって撮影
東木戸口 - 宿場内に向かって撮影 
宿場の古図 - 案内板より引用
宿場の古図 - 案内板より引用 

案内板の古図では柵が設けられていたようである。 現在はその遺構などは確認できない。

足手荒神 標高: 10.1m MAP 4km以内の寺社検索

足手荒神(左)と上野窯
足手荒神(左)と上野窯 
足手荒神内の祭壇
足手荒神内の祭壇 
多数の絵馬 - 足手荒神内
多数の絵馬 - 足手荒神内 
上野窯
上野窯 
足手荒神前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影
足手荒神前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影 

御堂には向かって左手より、恵比寿大神、足手荒神、薬師如来が安置されている。

御堂の隣には上野窯(あがのがま)の窯元の建物がある。 街道脇の案内板の内容を下に記す。

八代(高田焼)宗家 上野窯(開窯1602年旧細川家御用窯)

上野窯は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、加藤清正公に従い渡来した陶工楷が慶長7年(1602)、細川忠興公の小倉入城の際招かれ、豊前国・上野(あがの)釜の口に開窯したのが始まりです。

寛永9年(1632)、細川氏の肥後転封に伴い、八代郡高田村多良木に開窯し、平山窯を経て以後 明治維新に至るまで、代々細川家御用窯として作陶いたしました。 明治25年、窯を陶土の産地日奈久に移し、江戸時代中期より代表的技法となった象嵌青磁の作品を中心に400年有余年に亘る伝統を守り続けています。

12代当主 上野 浩之

竹嵜家住宅 標高: 10.1m MAP 4km以内の寺社検索

建物はこの辺りで発見出来なかった。残念無念。

日奈久みそ丸山商店 標高: 11.0m MAP 4km以内の寺社検索

商店前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影
商店前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影 
建物のなまこ壁
建物のなまこ壁 

この辺りは道幅の当時のままのようである。建物のなまこ壁が当時の面影を残している。

ホームページ:日奈久みそ 丸山商店

村津家住宅 標高: 8.3m MAP 4km以内の寺社検索

住宅外観
住宅外観 
住宅外観
住宅外観 
住宅前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影
住宅前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影 

案内板の内容を下に記す。

村津家住宅

日奈久地区内に多く残るなまこ壁。 村津家のなまこ壁は当時のままの姿をきれいに残しています。 なまこ壁は、瓦を押さえている漆喰(しっくい)の盛り上がった姿がなまこに似ていることから、 その名で呼ばれています。

村津家は明治期、商家であったことから、付近で火災が発生した場合。延焼を防ぐために濡れたムシロを掛けるL状くぎが、外壁に取り付けられるなどの防火対策が施されています。

村津家といえば、ここより少し山側に入った所の天谷山 喜安寺の明治期での創建に貢献した富志二人の内の一人の性が同じ「村津」である。 何らかの関係があるのかもしれない。

日奈久温泉センター ばんぺい湯&本湯 標高: 6.6m MAP 4km以内の寺社検索

ばんぺい湯の建物
ばんぺい湯の建物 
ばんぺい湯より少し東側の街道
ばんぺい湯より少し東側の街道 
ばんぺい湯前の無料の足湯
ばんぺい湯前の無料の足湯 
日奈久温泉神社鳥居
日奈久温泉神社鳥居 
日奈久温泉神社社殿
日奈久温泉神社社殿 
日奈久の町並 - 日奈久温泉神社境内より撮影
日奈久の町並 - 日奈久温泉神社境内より撮影 
相撲場(桟敷席もあり) - 日奈久温泉神社の石段の途中
相撲場(桟敷席もあり) - 日奈久温泉神社の石段の途中 

本浴場の始まりは江戸期に肥後細川藩の藩営温泉「御前湯」とされ、 明治から昭和にかけては「日奈久温泉本湯」、その後、昭和42年から「温泉センター」として多くの人に親しまれてきた。2009年7月21日「ばんぺい湯」としてリニューアルオープン。 「ばんぺい湯」という愛称には、八代特産の晩白柚のように多くの人々に愛され利用される温泉施設になってほしいという願いが込められているという。(本湯・ばんぺい湯 - 日奈久温泉施設より)

当浴場の街道を挟んだ北側の広場には浜田六郎左衛門が掘り当てた湯元がある。 六郎左衛門の石像が立っている。

ここより、南側の山中には日奈久温泉神社が鎮座している。 湯の神市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とし、応永26年(1419)に弁天社として建立。 初めは今の温泉センターの所にあったが、天明・文化の大火で町の大半が焼失したため、文政5年(1822)に現在地に遷座されたという。([W]日奈久温泉施設:温泉神社より)

当神社の石段はかなりきつい。地元の方の話によれば、160段あるという。

西宝寺 標高: 9.5m MAP 4km以内の寺社検索

門前の薩摩街道(左手が西宝寺、右手の建物が松の湯) - 佐敷宿に向かって撮影
門前の薩摩街道(左手が西宝寺、右手の建物が松の湯) - 佐敷宿に向かって撮影 
枡形道路(一部)
枡形道路(一部) 

西宝寺は光照山と号し、真宗大谷派の寺院である。 寺に向かって左手の山には、秀吉が10万の軍勢を率いて薩摩討伐に向かった「太閤越え」の道となっている(詳しくは同寺のページと本ページ上の地図をご覧下さい)。

海岸線(北側)より門前に向かっている道は、鍵型の枡形道路となっている。 当地区の歴史に疎い推論であるが、西宝寺あるいは、この辺りの場所は、大名などが休憩あるいは、宿泊した本陣(御茶屋)があったのではなかろうか?この枡形道路は海岸線からの外敵に備えた防衛装置の役割を担ったものではなかろうか?

案内板によれば、門前の旅館「松の湯」は明治期には佐敷警察署日奈久分署として利用された建物。 昭和7年に共同温泉として創業された。昔ながらの温泉浴場の形式を残し、浴槽は脱衣場より低く、湯気を自然排気するため、天井はふいごの形状をしているという。

国道3号線との合流点 標高: 10.7m MAP 4km以内の寺社検索

国道3号線との合流点の少し手前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影
国道3号線との合流点の少し手前の街道 - 佐敷宿に向かって撮影 
国道3号線との合流点 - 日奈久宿内に向かって撮影
国道3号線との合流点 - 日奈久宿内に向かって撮影 
国道3号線との合流点の少し手前のネコちゃん
国道3号線との合流点の少し手前のネコちゃん 
国道3号線との合流点の少し手前のネコちゃん
国道3号線との合流点の少し手前のネコちゃん 

街道はここで国道3号線と合流する。

十四里木跡 標高: 11.7m MAP 4km以内の寺社検索

十四里木前の街道(右手は八代湾)
十四里木前の街道(右手は八代湾) 
十四里木跡道標
十四里木跡道標 
十四里木跡道標の裏手の泉
十四里木跡道標の裏手の泉 

ここには、八代市教育員会による道標と、裏手に山裾から湧き出る泉があるのみである。 道標側面に記された内容を下に記す。

(前略)熊本城下の新町札の辻を出発点とし、14里(約56km)にあたる鳩山の山道に十四里木の大きな榎がありました。 街道はここから北へは日奈久温泉街を通り、八代城下へと向かいます。 また、南へは白島坂(しらどざか)を下り、洲口(すぐち)の山麓沿いから再び山道を経て「葦北第一景境」と言われた君ケ淵(きみがふち)[1]に出ます。

[余談]2017-10-09夕刻、八代城下の踏査とお寺めぐりを終え、我が念仏3号にて薩摩街道を南下、日奈久温泉街の宿(あたらし屋旅館)にチェックイン。その後給油の為ガソリンスタンドを探し求めて更に南下している時にこの道標を偶然発見!! 作者一人、小躍りして喜んだ。

ここより、先は未踏査。 はてさて、薩摩にはいつ到達するのやら?

日奈久竹輪今田屋 標高: 9.2m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査。

肥後二見駅 標高: 3.6m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査。

二見下大野町信号 標高: 12.9m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査。

二見橋 標高: 12.8m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査。

赤松太郎峠 標高:144.8m MAP 4km以内の寺社検索

ここは八代市と葦北郡芦北町の境界である。

Wikipediaによれば、佐敷太郎峠津奈木太郎峠とともに三太郎峠とよばれる。この3 津の峠は薩摩街道の難所であったという。

西音寺 標高: 4.6m MAP 4km以内の寺社検索

西音寺は真宗大谷派の寺院である。

小田浦阿蘇神社 標高: 6.8m MAP 4km以内の寺社検索

「小田浦」は「こだうら」と読む。

佐敷太郎峠南 標高:253.1m MAP 4km以内の寺社検索

Wikipediaによれば、赤松太郎峠津奈木太郎峠とともに三太郎峠とよばれる。この3 津の峠は薩摩街道の難所であったという。